2日続けての地元、台東区内の旧町名紹介シリーズ。
台東区の面積は23区で一番小さい10平方キロ余り。
時代小説や時代劇で浅草、上野界隈がよく出てきますか、だいたい3、40分も歩けば、おおよその範囲には徒歩で到達いたします。
下町散策のお役に立てば!
と、記し始めて8年も経っての61町会目は、
「旧谷中真島町」。
谷中は、徳川家の菩提寺でも知られる寛永寺が有する谷中霊園が有名で、台東区の北西に位置します。
大好きな池波シリーズでも「谷中 首ふり坂」と作品タイトルにもなり、鬼平犯科帳では、ひょうきんものの忠吾が活躍する「谷中いろは茶屋」など、当時から寺町であったことを伺い知ることができます。
歴史の上に住まわっている有難さを実感すると共に、これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないと信じ続けている台東区の旧町名由来の看板探し!
いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してまいります。
***旧町名由来案内「谷中真島町」***
江戸時代末の本町一帯は武家屋敷であった。美作国(現在の岡山県)真島藩下屋敷があったのもこのあたりである。藩主は二万三千石を領する三浦氏で慶応の頃(1865)藩名を勝山藩から真島藩にかえた。真島は美作国の郡名で、勝山はその真島郡の一地名であったことから郡名をとって真島藩に改めたものである。
本町は明治五年(1872)に真島藩下屋敷と周辺の武家屋敷を合併して誕生した。町名は真島藩の名にちなんでいる。
この付近は上野台地から愛染川流域の斜面にあたることから坂が多い。そのうちのひとつが臨江寺裏から宗善寺へ上がる「三浦坂」。そして三浦坂を登るとそこに「大名時計博物館」がある。江戸時代初期に作られた櫓時計をはじめ、枕時計、印篭時計など六十点が展示されている。
***下町まちしるべ***
この鳥越から谷中周辺へは上野の山=元寛永寺の境内を抜けて行きますが、ランニングですと約10~15分で片隅に到着いたします。
この町名由来看板探し、仮に自転車で見つけても日を改め、ワッセワッセと自分の足で向かいます。
当時のことを思いつつ、自分の足で距離感をつかむことで昔の人の気持ちになれる!?
・・・明治期に真島藩と改名されたようですが、明治期に真島藩と改名されたようですが、徳川の譜代大名であった三浦氏の勝山藩。
譜代の藩名を町名に残す気遣いが明治新政府にあったりしたのか・・・郷土史への思いはつきないのでございます。
61町名は「谷中真島町」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
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