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2016年3月31日(木)

旧町名由来案内「旧西黒門町」

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平成28年3月31日の上野公園です。

3月31日(平成28年)朝の上野公園

先週の土曜26日、昨日30日、、、日毎に色づき、、、見頃を迎えております。

本日、紹介の「旧西黒門町」の由来は上野寛永寺の黒門が由来なのですが、その黒門が建っていたのは、この少し先あたり・・・

平成28年3月31日朝上野公園の桜

 H28.3.31現在、上野公園、見頃です。

さて、黒門町といえば「桂文楽師匠」。黒門町の師匠と呼ばれ、、、現在は落語協会の事務所となっております。

嗚呼、、、これも旧町名と共に知る人も少なくなっているのでしょうか、、これを機会に「黒門町の師匠=桂文楽師匠」とお見知りおきいただければ幸いです。

西黒門町 今まで工事していた公園

上野松坂屋の中央通りを挟んだ向かい側の三角地帯の小さい公園・・・

長い間工事中だった。。。何度、この近辺をうろついたことだろう。

絶対に、この辺に看板があると思っていたら・・・

西黒門町 上野松坂屋向かい交番の横
※画像クリックで!さらに拡大

確か・・・探し始めた2年半前には工事していて、最近、工事の幕がとれ

西黒門町

 そりゃ、見つかる訳ないよね~~~(涙) まいっか。

それでは、いつもの通り「下町まちしるべ」を書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 西黒門町」***

東叡山寛永寺が創建されたのにともない、寛永三年(1626)に同寺の門前町として上野新黒門町ができた。この命名については御府内備考が『東叡山御門前に相成、元黒門町に引続町屋に御成候に付新黒門町と唱候哉』と述べられているのに由来する。
上野新黒門町は、御成道(現在の中央通り)の両側に形成されていたが、明治二年(1869)御成道を境にして東西に二分され上野西黒門町、上野東黒門町として新たに発足した。
明治五年、上野西黒門町は伊勢亀山藩上屋敷と武家屋敷を合併して町域を広げ、同四十四年には上野の二字を略し、西黒門町となった。
*******下町まちしるべ*******

 徳川家の菩提寺でもある寛永寺、ここに将軍が参詣に訪れる際に通たのが御成道、現中央通りとなる訳です。

台東区地図内の西黒門町の位置図
西黒門町位置図

どうりで細い道まで何度も探しても、見つからなかったはず・・・

現在の地図にあてはめた西黒門町の区域図
西黒門町区域図

時事ネタとして、今日の隅田公園の桜の様子も載せておきますね~

平成28年3月31日浅草隅田公園 平成28年3月31日朝隅田公園の桜
※H28.3.31浅草隅田公園の桜

上野公園、浅草隅田公園、ともに見頃です。

47番目の紹介は「西黒門町」の紹介でした。

台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧

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