谷中といったら何を思い出しますか?
谷中・根津・千駄木の谷根千?
それとも、徳川幕府の菩提所でもある霊園?
そんな谷中で見つけたコノ石碑???
昭和の大横綱でもある「千代の富士」関の銅像が谷中にあるらしい・・・
千代の富士関といえば、小兵ながらの大横綱は知られたところでありますが、肩の脱臼癖があり「不撓不屈の精神」ってイメージが強く残っています。
これまで仕事柄もあり、地元の歴史を知ろうと思い始めた台東区内の旧町名散策をしている時に見つけたのですが、玉林寺というお寺の中に銅像があるようです。
谷中も含め、台東区内はお寺が非常に多く、角界はもちろん歴史上の著名人も数知れず眠っております。
台東区内にお寺が多いのは、江戸初期にあった明暦の大火後に当時の下町から、まだ開拓が行き届いていなかった、この周辺に幕府の施策によって移ってきたものです。
この千代の富士の銅像があるのは、玉林寺が菩提寺だそうで、今から5年前に建てられたとありました。また、このお寺には、大きな椎(シイ)の木があり都指定の天然記念物に指定されております。
私が居ります鳥越から谷中の周辺へは、20分もあれば走って行ける距離にあります。区内循環バスめぐりんに乗りますと100円で15分位でしょうか。
台東区は23区で一番面積が小さく10.11平方キロ
=東西約2.5キロ×南北約4キロで、約10平方キロ!
区内一周しても距離的には、まぁ、その程度なんです。
だから、気分で走る朝ランのついでに、この看板を見つけてはパチリ!
狭いとはいっても、江戸の頃は急激に栄えた繁華街はこの台東周辺が中心と言っても過言ではないのでしょうか。
特に地元出身の池波正太郎先生の時代小説には、この辺りの地名などが良く出てまいります。
それでは、いつもの通り「下町まちしるべ」を書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 谷中坂町」***
もともと谷中村に属していた。元禄年中(1688~1704)に寛永寺領となるが町屋が形成されるにつれ、付近に善光寺があったころから谷中善光寺前町と呼ばれた。その後、玉林寺門前町と谷中村飛地をあわせ、明治二年(1869)谷中坂町と命名された。さらに同二十四年、三方露店と呼ばれたところと善光寺坂、三浦坂、藍染川端などを加えた。
町名は町の中央に坂があったことにちなんで付けられた。もとになった坂は「善光寺坂」と言われているが本町の北側に位置する「三浦坂」も関係があったと思われる。
―行く臨時に繁る大椎の木―
天正十九年(1591)に創建された玉林寺本堂裏手に椎の木がそびえている。幹の太さは六・五メートル余。東京都の天然記念物に指定されている。
*******下町まちしるべ*******
谷中の由来については旧谷中町で紹介しましたので、そちらでご覧いただくとして、谷中の中でも坂が一番入り組んできるのは、この地域かと思います。
路地に入っても、微妙な登り下りが沢山あります。
それにしても、思わぬ所で思わぬ石碑と銅像を見つけてしまいました。
狭いといっても、まだまだ色々な魅力が台東区内にはありそうです。
45番目の紹介は「谷中坂町」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
の記事