お酉様の行われる鷲神社周辺の旧町名「竜泉寺町」のご紹介の前に、先日、このシリーズがお役にたったと分かるエピソードがあったので簡単に・・・
ご来店下さったお客様が、
『両親が二長町(お隣の町会)出身で、蔵前通りを挟んで北と南だったと聴いているのですが、今の番地でどの場所か分かりますか?』
好きで、古地図は、持っておりますが番地まで記されている大きな地図は持ち合わせておらず、「区役所に聴けば分かると思います」とお伝えし、その後ご両親のルーツである地が判明したとご連絡を頂戴いたしました。
この拙いブログがご両親のルーツを探るきっかけになったのであれば、とても嬉しいことであります。やっててよかった。
とはいいましても、久々の⇒旧町名シリーズですので、なぜ調べ始めたのか今一度記しておきたいと思います。
なぜかといいますと、
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
「竜泉」と町名部分だけを彫刻したり、「竜泉寺町」町名全てを彫刻したり、とか、とか
また、武州・信州・備前・筑前など大きく地方名を入れる方など、さまざまなんですが!
それだけ、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あり、この号で紹介の「竜泉寺町」の現町名は『台東区竜泉』と名残りがあります。
現在の町名だけでなく、古い地域の名称でもご依頼をいただくということは、今でも深く地元の人の心にそれぞれの歴史があるということ。
特に江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く、風情があり、何と言っても覚えやすい!お祭りなどの町会名は、旧町名の町会も多く、
旧町名は、同じ町名でもせいぜい二丁目くらいまでしかなく、現表記では○○五丁目と○○七丁目とか、広すぎてどこが何丁目だかわからない。
一方旧町名は、その土地に根付いた生活から出てきた町名が多く町域も広くないので、とにかく分かりやすい!
これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと建てられていたコレ
嗚呼、文化遺産でもある旧町名、何でこんなに乱暴になくしてしまったのか。
想いを噛みしめながら旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 竜泉寺町」***
本町名は、竜泉寺にちなんで付けられた。竜泉寺は、慶長から元和の頃(1596~1623)に創建された古刹である。そのため、この付近一帯は竜泉寺村といわれた。延宝七年(1679)の頃、吉原から金杉へ抜ける道筋に町屋が出来、竜泉寺村とは別にそこを竜泉寺町と呼んだ。
明治二年に下谷竜泉町と改称したが、同二十四年、竜泉寺村、千束村おやび三ノ輪村の一部とともに下谷竜泉寺町として誕生した。そして、明治四十四に下谷を略して再び竜泉寺町となった。
明治文壇の女流作家樋口一葉は、明治二十六七月からこの地に住んだ。わずか十箇月だったが、ここの生活があってこそ一葉文学が生まれたといえる。
*******下町まちしるべ
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5000円札の樋口一葉さんが一時期住まわれたそうで、一葉記念館がこの竜泉にあります。
お酉様の鷲神社・長国寺の裏手に一葉記念館がございます。
お酉様、3の酉まである年は、火事が多いといいます。
くれぐれも、火の元にはご注意ください。
旧町名、43番目の紹介になりました「竜泉寺町」でした。
台東区は、旧町名の宝庫、浅草・上野界隈など台東区周辺を散策時に
お役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
の記事