そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのか?
この町名で40番目!⇒旧町名案内 町名一覧は、記事の下にも入口はありますので、このまま引き続きご覧ください。
さて、、、なぜ旧町名を調べ始めたのか?といいますと、
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
「田島」と町名部分だけを彫刻したり、「浅草田島町」町名全てを彫刻したり、とか、とか
また、武州・信州・備前・筑前など大きく地方名を入れる方など、さまざまなんですが!
それだけ、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あり、この号で紹介の「田島町」は浅草ROXの向かい側の町会ですが、現在、この町名は残っておらず、現町名は『西浅草2丁目』となります。
しかしながら、これだけ古い地域の名称でご依頼をいただくということは、今でも深く地元の人の心に町名が残っているということ。
特に江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く、風情があり、何と言っても覚えやすい!お祭りなどの町会名は、旧町名の町会も多く、
旧町名は、同じ町名でもせいぜい二丁目くらいまでしかなく、現表記では○○五丁目と○○七丁目とか、広すぎてどこが何丁目だかわからない。
一方旧町名は、その土地に根付いた生活から出てきた町名が多く町域も広くないので、とにかく分かりやすい!
これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと建てられていたコレ
嗚呼、文化遺産でもある旧町名、、何でこんなに乱暴になくしてしまったのか。。
想いを噛みしめながら旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草田島町」***
江戸時代の頃、この地は高い石垣の本願寺と路を隔てて北にあったことから、北寺町と称されていた。
明暦三年(1657)の大火後、神田須田町にあった誓願寺は門前町とともにこの地へ移ってきた。この誓願寺は、浄土宗京都知恩院の末寺で、田島山快楽院誓願寺といったことから、明治二年に誓願寺の山号にちなみ浅草田島町と称した。
明治五年、誓願寺の西辺部に接する下級武士の屋敷と北西部にある安行寺を合併し町域を広げた。
*******下町まちしるべ*******
この『浅草田島町』は、現在「西浅草2丁目」、
「西浅草1丁目」といいますと、東本願寺のある『浅草松清町』、
「西浅草3丁目」は、浅草ビューホテル(旧国際劇場跡地)のある『浅草芝崎町』・・・
この方がよっぽど風情があって分かりやすいのになぁ~
しかし、三社祭ではこの町名はありません。
実は、浅草ROXの向かいの裏手に小さいお社がありまして、この一角だけ浅草八幡神社。
この八幡神社の大祭の日は、三社祭と一緒なので!
お祭りの雰囲気は三夜祭と一緒に味わえるというわけです。
旧町名、40番目の紹介になりました「浅草田島町」でした。
台東区は、旧町名の宝庫、浅草・上野界隈など台東区周辺を散策時に
お役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
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