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2015年2月3日(火)

旧町名由来案内「旧浅草北松山町」

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ちょっと、視線が変わると気付く事もある。

いつもよく通る道。

北松山町いつも通っている道

自宅などや会社など、自分の本拠地となる場所の関係上、
道にも南北にはよく通っても、東西には通らない交差点ってありますよね。

好きが高じて調べ始めた台東区の旧地名由来案内板探し⇒旧町名案内シリーズ

たまたま用事が何件か重なり、この交差点の東西の筋を通ったら・・・

あーーーっ!

あんなところに

北松山町の東西筋

この交差点、南北の筋はよく通るのですが、

台東区北部からフダヤドットコム方面へ向かうと、

北松山町いつも通っているけど

完全に死角になって見えない。

しかも、こんな壁と同化していては。。

浅草北松山町でたぁ~

それでも、やっとの思いでみつけたこの町会の案内板。

ちょーーー、嬉しかった~~~

浅草北松山町

それでは、旧町名の由来を例の如く書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草北松山町」***

この地は、池沼であった。江戸時代初期、その池沼を埋め立て、元和、正保の頃から寺地として発展した。
そして、明治二年(1869)正行寺門前、本立寺門前、正覚寺門前、成就院門前、正福院門前、万福寺門前、大乗院門前、玉泉寺門前、広大寺門前、満泉寺門前、本蔵寺門前、東国寺門前、宗安寺門前、行安寺門前、専光寺門前の十五町屋を併せて浅草松山町と称した。
同四年、浅草松山町は南北二町にわかれ、同五年に先の十五か寺の寺地と隣接する別の寺地を南北二町それぞれが合併し、浅草南松山町、浅草北松山町は起立した。
この時、法成寺が南松山町に編入され、祝言寺、入楽寺、光桂寺、高徳寺、皆応寺は北松山町に加わった。

昭和九年(1934)、浅草菊屋橋二丁目が起立しあt。この起立に再試、浅草南松山町は東側だ大部をけずられ従来の半分になった。
*******下町まちしるべ*******

 あれ?
町名の由来が書いていない。。
いざという時の「角川日本地名大辞典-東京都-」にも出ていない。。

台東区地図内の浅草北松山町の位置図(緑部)

浅草向柳原町位置図

 さて・・・

困ったので、雑学を1つ。

この町会も、鳥越神社の氏子地域であります。

現在の地図にあてはめた浅草北松山町区域図(緑部)

浅草北松山町区域図

浅草通り以北ではこの町会だけがポッコリ突き出て鳥越神社の氏子地域になります。

今、浅草通りの歩道の改修工事をしているので、完成したら立て戻されるのかと思っていましたが、

浅草通りに面した北松山町

思いもよらぬところで案内板を見つけた!

38番目の紹介になりました「旧浅草北松山町」でした。
その他の町名も随時更新いたします。台東区散策のお役に立てば幸いです

⇒旧町名案内 町名一覧

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