興味があって調べ始めた地元、台東区の旧町名。
関連の記事は「テーマ:復活願!旧町名のこと」にまとめております。
かの池波正太郎氏は、台東区浅草聖天町生まれ!小学校も区内の西町小学校出身でありますから、「鬼平犯科帳」を始め「剣客商売」「藤枝梅安」の三大作品と言われる中にもとどまらず、台東区の旧町名が、次から次へと出てきます!
でーーーーーーーー、
特に、その池波先生の小説の中での地元『鳥越』の事なんですが~!
「元鳥越」「新鳥越」と二つ出てくるんです。
本記事の終わりは、理由合って少し足を延ばし「鐘ヶ淵」まで?!
行くのですがーーー
本題の「元鳥越」「新鳥越」・・話の流れからして、それほど遠くはないと思いつつ、
どっちがどっち?
私も最初は混乱しましたが!!!好きが高じて調べ始めた「旧町名シリーズ」の番外編として、記してまいります。
さて・・・
江戸の初期までは、現在の台東区鳥越は小高い丘になっていたそうで、その丘上に神社が三社もあったのです。
その三社とは「第六天神社・鳥越大明神・熱田大明神」
上の画像では、鳥越の丘に三社「七曜紋」になっておりますが、実際の三社の社紋は、
左から第六天榊神社・鳥越神社・熱田神社
鳥越神社は、その昔は白鳥大明神と称し、鳥越の名の由来発祥と共に鳥越神社となった訳ですが、ざくっと周辺の位置関係は↓
そして、江戸城の築城や鳥越周辺の池の埋め立て、さらには江戸のお米を管理する蔵、御蔵を隅田川(大川)に埋め立て作るため、
さらには、江戸の街が拡大するにつれ鳥越の丘は江戸幕府に接収され丘は切り崩され、主に武家地になりました。
また、社寺の政治的な影響力も今以上に懸念された当時、鳥越の丘にあった三社は、徳川幕府により近隣の地へ遷社(移動)させられたのです。
その内の1社、第六天榊神社は、
旧森田町(隅田川より)へ移されれ、さらに後、江戸御米蔵の南「柳橋」に第六天榊神社として移されました。
現在は、浅草橋から浅草へ向かう「江戸通り:須賀橋交番」のすぐ裏に鎮座しております。
その2社が遷座させられた時、鳥越神社も一緒に移動を命ぜられたようですが、当時の関係者の努力により鳥越の地にとどまる事を得たと聴きおよびます。
そして、熱田神社はどこに移されたのかというと、
現在の鳥越から見ますと浅草寺の裏手の方角、
現町名では今戸二丁目に、移った当初は現在地より少し北にあったようですが、概ねこの地に『氏子とともに』遷座をさせられました。
『氏子とともに』ということなんです。
そして、遷座した熱田神社周辺が「新鳥越町」という新しい町になった事により、これまでの鳥越は「元鳥越町」と云われるようになったと記録にあります。
その熱田神社の境内の壁には、平成6年に行われた遷座350年祭の大きな写真が貼られておりました。
それから20年経ちましたので、丁度370年になりました。
これで「元鳥越」と「新鳥越」については解決しましたが、
時代小説を読んでいると、もう一つ「鳥越」と付く名称で、どっち?どこ?どっち?と思うのが
「鳥越橋」。
別記事にしないで一気に書きとめておきたいと思います。
そこでご覧いただきたいのが、下の画像。
元鳥越の回りとその右側に、黒い線が書かれておりますが堀川を記しております。
当時は、元鳥越と接収された御用地を囲むように三味線掘まで水路が残されました。そして、鳥越神社の西側で新堀川と合流し、少し南下してから江戸御蔵の南側で大川(隅田川)に合流しております。
そして、浅草橋から浅草寺へ向かうにあたり、その堀川を渡るための橋が、
「鳥越橋」ということになります。
前に出た、現在の第六天榊神社近くの須賀橋交差点付近になりましょうか。
現在は、これらの堀川は暗渠として埋められてしまっております。
ちなみに、新堀川が通っていたのは、現在でいうと合羽橋道具街の通り。こちらも、今は跡形もありませんが、お堀が通っていたんです。
「鬼平犯科帳」と「剣客商売」の頃の大川(隅田川)に架かっていた橋は、この地図中では「両国橋」と浅草寺脇の「東橋(吾妻橋)」の二つ。
さらに上流は「千住大橋」下流は「新大橋」まで行かないと橋を渡る事はできませんでした。ですから渡し船が活躍した訳です。
えっ???
「熱田神社」「新鳥越」のお木様(おこさま:木札)の先にも何かある!って?
良い所に、気がつきました(笑)
それでは、元鳥越の丘のあった所から浅草寺方面、さらに北の新鳥越の先に向かってなぞって行きたいと思います。
まず、鬼平犯科帳、雲霧仁左衛門などにも出てくる「阿部川町」。
上野と浅草を東西に結ぶ道(寺町通:現浅草通)が、新堀川をまたぐ橋が「菊屋橋」
「阿部川町・菊屋橋」から西に浅草寺を伺いながら、その北の方に「新鳥越町」があります。
浅草寺から、少し北へ行った所が、熱田神社のある旧新鳥越町(現:今戸)。
そして、新鳥越のさらに少し先に「橋場」という地があります。
ここまで来ますと元鳥越からは、かなり遠く感じますが、仮にタクシーで元鳥越から熱田神社に行ったとしますと1000円を少し超える位の距離です。
歩くと少しありますが、まぁ、それほど遠くはないという距離。
橋場まででも、だいたい2000円前後で到着するかと思います、そんな距離感です。
さらにさらに!
北へ上流へと向かった大川(隅田川)の対岸に鐘ヶ淵があります。
鐘ヶ淵から橋場へ地続きで行くには、浅草吾妻橋を回るか、千住から大回りするか・・・だから、渡しの船が重宝した訳ですね(剣客商売:秋山小兵衛と大治郎)。
いかがでしたでしょうか?
旧町名シリーズ番外編 「元鳥越」「新鳥越」(鳥越橋)。
また、時代小説を読んでいく中で、旧町名に関してピピピっときましたら、こうして更新をしてまいります。
なお、本文中に出てきた「鳥越・浅草橋・阿部川町」ほか台東区内の町名の由来については、こちらのページにまとめております。お時間のあります時に、ぜひご一読いただければ幸いです。
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