旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ。
⇒戻したい町名の年代
31番目にご案内するのはアメ横の北側の入口、上野駅側の「旧五条町」を紹介いたします。
アメ横を上野側から入りますと、すぐ右側に見逃してしまいそうな碑があります。
「五條天神社跡地」の碑です。
寛永寺の造営や清水観音堂の建立により、何度か上野の山周辺に遷座(移動)を余儀なくされていたが、元禄(1690年代)の頃~大正時代まで約230年間、この跡地に五條天神社が鎮座していたとあります。
現在は、商業地となり色々なお店が軒を連ねております。
さて、、、
ちょっと脱線しますが、その五條天神社は、現在はどこにあるかというと!
上野の山を西郷さんの方から公園を奥に向かってすすみます。
中央広場に出る手前の左手に鳥居が見えるのをご存知でしょうか?
こんな感じです。
この少し下手、不忍の池との中間にある訳ですが、
不忍の池の方から見ますと、この坂の中腹にご鎮座しておりますが、
今日は、いつもと少し雰囲気が違うようです。
高張提灯・・・こんなに出てた?しかも提灯の御名は薬屋さん?
五條天神社は、医薬の祖神でもあるそうで、日本の名だたる製薬会社様の御名がみられます。
そして、今週末は、五條天神社の例大祭があります。
しかも、今年(2014)は、三年に一度の大祭で大きな宮神輿が出る年です。
御神輿の大きさもかなりあります。5月25日(日)に氏子各町を渡御いたします。フダヤドットコムも日曜営業日です!
氏子地域はJRの線路より西側、アメ横や上野松坂屋も五條天神社の氏子地域になります。
時代小説にも「五條天神」よくでてきますよね。
寛永寺の門前付近にあった神社ということになります。
前置きがかなり長くなりましたが、
31番目の紹介になりま
す。町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 五条町」***
明治二年(1869)五條天神門前町、瀬川屋敷および元黒門町飛地を合併して起立した。町名は、町内に五條天神があったことにちなむ。
五條天神は、へじめは上野公園内東京文化会館西側に現存する擂鉢山にあった。その後、上野黒門前へ移り、元禄十年(1697)に、この地に移転してきた。このことから、この地に門前町屋が開かれたのはこれ以降である。
大正十二年(1923)、町名のもとになった五條天神は、同社地が鉄道用地に収用されたので、同十四年九月、上野公園に移り現在に至っている。
五條天神社旧跡碑は、上野四-十にあり、碑の立つ位置は、JR上野駅「しのばず口」を出て、アメヤ横丁を高架線に沿って少し進んだ右側、上野京成ビルの裏側のわずかな空地に建っている。
昭和三十九年(1964)、住居表示の実施で大部分が上野四丁目に、一部高架線下が同六丁目になった。
*******下町まちしるべ*******
「わずかな空地」と言われれば、確かにそうかもしれませんが、
こうして、少しでも歴史が残されていくことは大事な事だと思います。
台東区地図内の五条町の位置図(緑部)
池波正太郎先生の時代小説では、五條天神はかなりキースポットになりますが、この五條天神の西側には湯島天神があり、同じく今週末にお祭りがあります。
現在の地図にあてはめた五条町区域図(緑部)
上野松坂屋周辺は、今週末は御神輿で賑わいます。
フダヤドットコムの今週末の5月24日(土)、25日(日)と営業いたしますので、お立ち寄りの際には、お祭り気分も一緒に楽しんでいただければと思います。
31番目の紹介になりました、上野駅側アメ横入口の「五条町」でした。
台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
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◇復活願!旧町名のこと
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