旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ。
⇒戻したい町名の年代
毎年、5月の第3週が浅草神社のお祭り。
ご存知かとも思いますが、浅草寺はお寺ですので、三社祭は浅草寺ではなくお隣り浅草神社のお祭りです。
浅草寺の向かって右側、たくさん提灯が見えるその先が浅草神社。
ということで、今週が三社祭ですので周辺は大いに盛り上がる訳です。
そして今回、ご紹介の旧町名は、浅草の顔とも言うべきこの門!!!
これまたご存知「風雷神門」(ふうらいじんもん)
俗称「雷門」で知られるこの旧町名、ちょうど三社祭ですので、
平成26年度「二之宮」南部渡御の朱引きで町名を見てみましょう。
雷門と付く現祭礼町名は東から「東部・中部・西部・田原」と4町会がありますが、後ほど少し拡大したものと、旧町域と見比べてみたいと思います。
それでは、いつものとおり・・・
と、言っても「風雷神門」=「雷門」が関係しているとは想像がつきますが、
きりよく30番目の紹介になります。
町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草雷門」***
昭和九年(1934)、浅草雷門はそれまでにあった浅草材木町、浅草並木町、浅草茶屋町など七カ町が合わさって一丁目ができ、浅草北仲町会、浅草馬道町、浅草花川戸、浅草公園地など六カ町が二丁目となり誕生した。この付近は浅草寺があったため早くから開け、すでに江戸時代初期には門前町として栄えていた。
町名は、浅草寺の総門である「雷門」にちなんでつけられた。
「雷門」の創建はたいへん古く天慶五年(942)といわれている。門の右側には風神像が、左側には雷神像が力強く建っている。この二神像があることから「風雷神門」といわれていたが、いつしか「雷門」と呼ばれるようになった。
「風の神 雷門に居候」
と江戸の庶民は親しみをこめて川柳に歌った。
*******下町まちしるべ*******
ちなみに、この看板は雷門前交番からみて左斜め前にあります。
現住所表記ですと雷門があるのは「浅草1丁目」になります。
台東区地図内の浅草雷門の位置図(緑部)
雷門の前の雷門通りを挟んだ向かい側(南側)に、現雷門1・2丁目があります。
冒頭にも書きましたとおり祭礼町名では「東部・中部・西部・田原:町会」が、現雷門1・2丁目ということになります。
看板に書かれていた説明と下の区域図を見ますと、かなり広い範囲が雷門という町名だったようです。
下の区域図は、上の朱引きと南北が逆になっております。
現在の地図にあてはめた浅草雷門区域図(緑部)
さてさて、浅草神社では三社祭の準備が着々と進んでいるようです。金曜の夜から御神輿が繰り出し、日曜の御本社神輿の渡御でクライマックスを迎えます。
残念ながら!
お祭り期間中は、この大提灯が!!!
それは、それで極レアな機会という事でお楽しみください。
30番目の紹介になりました、浅草の顔「旧浅草雷門」でした。
台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
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