旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ。
旧町名案内看板を探索しております、上野、浅草がある台東区周辺は、ゴールデンウィークになるとお祭りの足音が聴こえてまいります。
5月初旬から6月中旬まで、毎週のように台東区内のどこかしこで執り行われます。
その初め頃のお祭りとなるのが、JR鶯谷駅北口の目の前にあるこのお社、
元三島神社。
その御祭礼の町会名にもなっている鶯谷駅周辺の旧町名。
正岡子規ゆかりの「子規庵」や前林家三平師匠の博物館「ねぎし三平堂」がある事でも知られます。
電車の線路がかなり大きく有りますが、電車が通る前はどんな雰囲気の町だったのか、気になるところでもあります。
鶯が飛ぶような、長閑な雰囲気だったのでしょうか?
28番目の紹介になります。町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 上根岸町」***
呉竹の根岸の里は、上野山を閉経にした田園風景と清流音無川の流れる静寂の地であった。江戸時代から「根岸の里の侘び住まい」といわれ多くの文人墨客が好んで住んだ。
そのむかし、この付近には大きな池があった。そして上野山のもと(根)にあったことから、すでに室町時代には根岸と呼ばれていた。江戸時代初期、根岸は金杉村に属し、いくつかの民家が建っていた。風光明媚の地であったことから文化文政(1804~1830)の頃には別荘地として二百戸余りになっていた。明治二十二年(1889)、根岸は下谷区に編入されたあとすぐに上根岸町、中根岸町、下根岸町に分けられた
「雀より鶯多き根岸かな」
俳人正岡子規は、明治二十五年から同三十五年まで根岸に住んだ。今、その住まいは「子規庵」として残されている。
*******下町まちしるべ*******
静寂な別荘地。。
今では、ちょっと考えられません。
台東区地図内の上根岸町の位置図(緑部)
時代小説などを読みますと、上野や浅草から北は田圃が広がっていたようですから、上野の山のふもとの閑静な別荘地であったのですね。
現在の地図にあてはめた上根岸町区域図(緑部)
28番目の紹介になりました、
鶯谷駅周辺の町会「上根岸町」でした。
台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
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◇復活願!旧町名のこと
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