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2014年3月17日(月)

旧町名由来案内「旧浅草松清町」

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旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ

先日、紹介しました「菊屋橋」は、浅草と上野を結ぶ旧新寺通り(現浅草通り)に東西にかかる橋。

浅草菊屋橋の想像

南北に走る合羽橋道具街の道は「新堀通り」の東側に大きなお寺、東本願寺のある町会です。

池波先生の「剣客商売一(御老中毒殺)」にも、東本願寺や新寺通りの名が出てまります。

浅草 東本願寺 剣客商売
※池波正太郎ガイドマップ古地図天保14年(1843)

上の画像の中央に「東本願寺」、この道を西(上野方面:左)へ向かうと、下谷稲荷の稲荷町方面ということになります。

この菊屋橋交差点から北東方向(右上方向)~

浅草松清町 国際通

~浅草メイン地区方面へ向かう国際通りまでの町域です。

浅草松清町

 薬屋さんではありませんが「マツキヨチョウ」と読みます。

24番目の紹介になります。町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草松清町」***

この地は、徳川家康が江戸に幕府を開いてから田が宅地に造成された。その後、明暦三年(1657)の振袖火事により、京都東本願寺の別院浅草本願寺とその末寺四十六ヵ寺が神田からこの地に移ってきた。そして次第に門前町が開け、寺町として発展した。
明治二年(1869)浅草松清町が誕生した。町名は、大松寺の「松」と清光寺の「清」をとった。清光寺は浄土宗芝増上寺の末寺で、寛文五年(1665)に水戸光圀が駿河国から当地に移したといわれている。
なお、本町の東側本通りには国際通り商店街、西側には合羽橋道具街(厨房機器)があり賑わいを見せている。
*******下町まちしるべ*******

 東本願寺のお隣に「大松ジ」の文字が見られますが、地図内の朱塗りの部分はお寺ですので、寺町として栄えたことがうかがえます。

浅草 東本願寺 剣客商売
※池波正太郎ガイドマップ古地図天保14年(1843)

 また、白い部分は武家屋敷。

ほとんどが「白と赤=お寺と武家屋敷」ですので、

台東区地図内の浅草松清町の位置図(緑部)

浅草松清町位置図

町名の由来にお寺やお武家さまの名、由来の地の名称がつけられている事をうかがい知ることができます。

現在も、この松清町(現西浅草1丁目)には多くのお寺があります。

現在の地図にあてはめた浅草松清町区域図(緑部)

浅草松清町区域図

と、言う訳で「剣客商売」を読み始めた訳ですが、

知った地名などが出てくると、臨場感も湧いて何だか嬉しい気分になります。

24番目の紹介になりました『浅草松清町』の紹介でした。

旧町名が歴史的文化遺産として認められることを願いつつ、
地元、台東区散策の、お役にたてればと更新を続けてまいります。
これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧

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