浅草鳥越
名入れ 彫刻木札専門店
代表職人芳雲の木育て日記

ブログサイト

2014年1月27日(月)

旧町名由来案内「旧入谷町」

カテゴリー

 ようやく20番目の紹介になります。
勢いに乗って本日2度目の更新~~~、先ほどの更新「虎杢」とは何の関係もありません。

旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、この旧町名案内シリーズ

看板を見つけたら!

自分の足で走って撮影をしに行っておりますが、鳥越から言問通り・・・

入谷町言問通り沿い

お陰さまで「言問通り」まで近く感じるようになりました(笑)。

別に、走る必要もないのですが、まぁ、せっかく地元のことを調べるのであれば、さらに土地勘や距離感をしるために自分の足で行った方が、新たな発見もあるのでは!?と思ったしだいです。

旧町名由来案内 入谷町

 それでは!町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 入谷」***

その昔、この付近は坂本村に属する千束池であったが天正のころ(1573~1591)鳥越村の人々によって埋め立てられ田圃になった。江戸時代になってから現在の金杉通り東側に少しづつ寺院などが建ち、家並みができるにつれて、いつしか元入谷・中入谷・南入谷と呼ばれるようになった。明治二十二年(1889)坂本村の大部分が下谷区に編入され、その地域が下谷入谷町として誕生した。昭和十二年、元入谷が坂本、金杉に町名が変わり、同四十年の住居表示で南入谷のうち、言問通り南側の地域が隣接する松葉町と共に、松葉町の「松」と入谷町「谷」をとって「松が谷」となった。松が谷一~四丁目のうち南入谷地区は松が谷三丁目の半ばと松が谷四丁目である。
この地域は、今なお下町情緒を色濃くのこし、国の重要有形民俗文化財に指定された富士塚で名高い小野照崎神社の祭礼(五月)入谷朝顔市のイベントとして盛大に催される入谷南公園の朝顔音頭大会(七月)合羽橋本通りの七夕祭り(七月)赤羽神社の火渡り式(十一月)等々、数多い年中行事を楽しむ町である。
*******下町まちしるべ*******

 入谷の鬼子母神の朝顔市だけでなく、年間を通して色々な催しがあるんですね。

地元、鳥越からは少し離れているので、知らないこともたくさんありそうです。

台東区地図内の入谷町の位置図(緑部)

入谷町位置図

そして、かなり町域が広い!「入谷町」

町域の現町名は、案内板にもでました「松が谷」「北上野」「下谷」「入谷」4町名にまたがっていました。

現在の地図にあてはめた入谷町区域図(緑部)

入谷町区域図

 昭和の住居表示変更で、町名の町域が大きくなった例がほとんどですが、小さくなった町名もあったのですね。

でも、一丁目二丁目。。何丁目、、やはり分かりにくいと思うのは私だけでしょうか?

20番目の紹介になりました『 入谷町 』、まだまだこのシリーズは続きます。

これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧
ブログ一覧に戻る

◇復活願!旧町名のこと

の記事

◇復活願!旧町名のこと の記事一覧