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2014年1月23日(木)

旧町名由来案内「旧御徒町」

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旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、この旧町名案内シリーズ

この町会ながーーーーーーーーーっ!

ちょっとーーー!あまりにも長いのでーーーっ
いつもの区域図に駅などを書き足したので、こちらからご覧ください。

御徒町の長さ

 上野駅前の歩道橋を上野駅から対角線に昭和通り(首都高速の下)を渡ったここから「御徒町」が始まります。

上の画像の1番のあたり・・上野だけど旧町名は「御徒町」

御徒町ここから1番上野駅前

1番の上の歩道橋に上って秋葉原方面を見ましたが!

いやーーーJR御徒町駅のある春日通りすら遥かかなただぁ~

御徒町ずっと先まで

 そして、JR上野駅の次の駅はJR御徒町駅。

最初の区域図の2番まできました。信号の先にJR御徒町駅が見えますが、

御徒町2番から御徒町駅をみる

駅のある場所は「御徒町」のあった場所ではないんですね。

JRの駅から見て昭和通り(首都高速の下)の反対側が「旧御徒町」。

ご存知、紫色のビルでお馴染みの多慶屋さんの角ですが

御徒町2番春日通り

この多慶屋側が「旧御徒町」。

何ですが、ここで「旧御徒町」の長さの約3分の1ぃ~

で、次の大きな通り、蔵前通り!最初の図の3番まできましたが

御徒町3番蔵前通りまだ先も

ここで約3分の2、ヨドバシカメラ秋葉原の少し手前まで「旧御徒町」!!!

ヨドバシカメラは、秋葉原駅のすぐ横、て、ことは!

上野から秋葉原まで縦長の御徒町。。でも、JR御徒町駅は「旧御徒町」じゃない。。

旧町名由来「御徒町」

 ちょっと、混乱してきましたが19番目の紹介になります。
「旧 御徒町」町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 御徒町」***

この付近一帯は、徳川三代将軍家光(1623~1651)のころ徒士(かち)組の屋敷地であった。徒士組とは、徒歩組、歩行衆ともいわれ、徒歩で主君にお供したことにもとづく呼称である。江戸幕府の職制では若年寄に属し、その職務は、将軍外出の際の沿道警備・江戸城中玄関廊下の警戒であった。
この地は、江戸末期に至るまで徒士組の屋敷が多かったことから、御徒町、徒町と呼ばれるようになった。明治五年(1872)、徒歩組屋敷および周辺の武家屋敷などを併せ、御徒町は誕生した。
文化文政(1804~1830)のころ、この付近では朝顔の作りが盛んであった。今でこそ朝顔といえば入谷であるが、この地こを朝顔作り発祥の地である。
*******下町まちしるべ*******

 おそれ入谷の鬼子母神!の朝顔・・・

御徒町が朝顔づくり発祥の地であったとは!

台東区地図内の御徒町の位置図(緑部)

御徒町位置図

それにしても、本当に細長いですね!

現在の地図にあてはめた御徒町区域図(緑部)

御徒町区域図

鬼平さんの部下もこの辺りの徒士組だったのでしょうか?

本所は、大川(隅田川)を渡ってすぐですし、

確か・・・そんな風に書いてあったような。。

御徒町 旧町名由来
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そうそう!
前の旧竹町の案内板が公園の中にあったことで、お隣「御徒町公園」の中に見つけました。

御徒町公園の中
※画像クリックで!さらに拡大

 19番目の紹介になりました『 御徒町 』、次は紹介はどこにしましょうか。。話の流れだと『入谷町』?? まだまだ続きます。

これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧
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