旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、この旧町名案内シリーズ。
現地には、自分の足で朝ランニング!!!
と、始めた訳ですが、ごく近所の公園の脇は何度も通ります・・・
我が地元、鳥越からJR御徒町や仲御徒町方面へ向かう途中にある竹町公園。「竹町」って旧町名は、公園にもあるので存在は知っていました。
・・・公園に「旧町名由来案内板」がある場合には、おおよそ道路側に向かって建っている場合がほとんどですので・・・
こうして、道路側から近くを見る目と、
その他の道路に面して「看板の裏側」がないか、気にしながら走って探すのです。
すぐ近くで何度も通ってますから、もうこの公園にはないと諦めていたのですが・・・
ちょいと、ランニング中にもよおしたので公園の中に入ってみると!!!
あーーーっ!あそこぉぉおおお!!!
公園の内側を向いている。。。
こんなの有り?と、思いつつ、、
我が鳥越1丁目の北西のお隣、17番目の紹介になります。
町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 竹町」***
明治五年(1872)秋田の久保田藩主佐竹邸、伊勢の津藩主藤堂邸、伊予の大洲藩主加藤邸、秋田の矢島藩主生駒邸と周辺の屋敷が合併して竹町はできた。町名の由来は、この地に最も広大な敷地を有した佐竹邸の西門扉に竹を用いていたことにちなむという。
この地は、竹町と命名されてから、めざましい発展を遂げた。さて蹴邸の跡地には講談寄席や料理店がならび大変にぎわった。その後、大正十二年(1923)の関東大震災で一面焼失したが、商人や職人の町としてよみがえった。そして、第二次世界大戦で二度にわたる空襲を受けたにもかかわらず、他にさきがけて復興し現在の姿になった。
*******下町まちしるべ*******
関東大震災と二度にわたる戦争の空襲からも復興した町だったんですね。
今でも、御徒町駅周辺の宝飾品店を支える職人が多くいる町になっています。
台東区地図内の竹町の位置図(緑部)
僕の、尊敬する焼き鳥職人さんのお店がある町でもあります。
こんなに近いのに、なかなかこの案内板がみつからなかったのは・・・
現在の地図にあてはめた竹町区域図(緑部)
この町名由来案内板は、公園などにある場合は道路側に向いて建っているものとばかり思ってました。
ましてやメインの通り側でなく、横道側で内側向きとは・・・
どの向きに建っているか分からない!
と云うことを知ったのが、すぐ近くの「竹町(公園)」!
今回の一件で公園の場合は、外側からも園内の内側からも確かめないと!と思わせてくれた事により、次に紹介する竹町の西の隣→駅名としても有名な『 旧御徒町 』の案内板を見つけることができたのです。
17番目の紹介になりました、我が鳥越のすぐ隣「竹町」の紹介でした。
次は、『 御徒町 』を紹介したいと思います。
これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓
◇復活願!旧町名のこと
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