旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、この旧町名案内シリーズ。
池波正太郎先生の時代小説には、よく台東周辺の町名が出てまいりますが、「おれの足音(大石内蔵助)」の中に出てくる浅野家家臣で大石内蔵助の幼馴染でもあり、骨董など好きが高じて鍔屋家伴と名乗り店を開いた町・・・
武士の頃は服部小平次として京都の藩邸で伸び伸びと大好きなモノづくりをしていたが、江戸の藩邸に飛ばされたのち、武士をやめ大好きな古美術や刀剣を扱う道具屋を開いた町・・・
こんなマニアな話、、、、分かる訳ない???
小説には、こうあります。
『池ノ端・仲町は、上野・不忍池の南にある商店街だが、店がまえは小じぢんまりとしてはいても、江戸一流の商舗がたちならんで・・・(池波正太郎:おれの足音.上.P429より)』
上野の不忍池をご存知の方も多いと思います。
現在も実在する何かと照らし合わせて旧町をみてみると、
よりリアルに感じられ想像も膨らみやすいような気分になります。
それでは、16番目の紹介になります。
町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 池之端仲町」***
本町は、寛永五年(1628)に寛永寺門前町として起立した。町名の池之端については、不忍池のほとりにあることから付けられたが、仲町についての由来は不詳である。
町内に、吹貫横丁という不忍池の南側から本町を南北に縦断した道があった。池面を渡る北風が吹貫けたのでこの名があるという。吹貫横丁を境にして、東側を東仲町、西側を西仲町と俗に称していたようだ。
また、本町は商人町として古くから発達してきた。錦絵、竹作工、筆墨硯、袋物、茶をはじめとする店が立ち並び大変賑わっていた。中でも「錦袋園」(きんたいえん)と称する薬を追っていた薬屋は有名であった。これらの店が並ぶ道は、江戸時代から明治年間まで、上野と本郷を結ぶ道として賑わった。現在は、池之端仲町通りという。
明治五年(1872)、本町は福成寺を合併し町域を広げ、昭和三十九年(1964)の住居表示の実施で、西側一部が池之端一丁目になり、残りの大部分が上野二丁目となった。
*******下町まちしるべ*******
現在も、飲食店などが多く建ち並ぶ「仲町どおり」。
上野ABABから中央通りを挟んだ向かいの繁華街。
今でも「仲町、仲町」と気軽に呼んでおりますが、こうした歴史のある町名なんですね。
台東区地図内の池之端仲町の位置図(緑部)
こうして知ることにより、今までより深い認識で「仲町」と呼ぶことになりました。
現在の地図にあてはめた池之端仲町区域図(緑部)
町名由来案内にも「商人町」とありましたが、
「おれの足音」に出てくる道具屋「鍔屋家伴」、何ともありそうな感じで頭に浮かびます。。
池波先生の作品は、本当にたくさんありますが、「錦袋園」と似たような名前の薬を扱う、池之端の薬屋さんなんかが出てきたら、とても興奮しそうです。
こうしてみると、やはり旧町名は立派な文化遺産だと改めて思い直した旧町名でした。
という訳で、ちょっと興奮気味で「おれの足音:上巻」読了しました。
16番目の紹介になりました、不忍池のほとり「池之端仲町」の紹介でした。
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◇復活願!旧町名のこと
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