浅草鳥越
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代表職人芳雲の木育て日記

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2013年12月21日(土)

旧町名由来案内「旧浅草鳥越一町目」

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今日も元気に営業中・・・

現住所 台東区鳥越1丁目31番地のフダヤドットコム。

鳥越1丁目1-31-4 フダヤドットコム

木育て自慢大賞の発表は、明日22日に・・・

お待たせして申し訳ありません。鳥越の蒲生芳雲、RH+ABです。。

浅草鳥越 蒲生芳雲です

旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、このシリーズ。

一番最初に、紹介したのが「旧 浅草鳥越二丁目」、鳥越神社の鳥居の横に、こうして、神社や公園などにある場合は、歩道側に向かって立建っている事が多いので、公共の施設などがあった場合には、建物側を注意しながら走ります。

鳥越走ってます

 せっかくなら、自分の足で写真を撮りに行く!と決めた訳ですが、

こうした、幹線道路にある場合には、道路側に町名由来案内があることがほとんどなので、建物側を走ります。

建物側を走って反対側の歩道も

ここは、我が地元、フダヤドットコムのある鳥越1丁目の交差点付近ですが、道路の反対側にもないかなぁ~って、遠くも見ながら走るんです。

したがいまして、この場合の視線は右側になります。

建物側から道路を見る

こうしていると、見逃してしまう訳です。

上の画像の建物側のはしっこに。。。

見つけた案内板は、こうして画像を撮って一覧に追記(⇒旧町名由来案内の一覧)しておりますが、なんと~、自町の案内板を見つけたのが43番目、ご紹介は15番目になってしまいました。

浅草鳥越一丁目

無いと思ってあきらめていたのに・・・

ようやく見つけた地元の町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草鳥越一丁目」***

本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代の後期の頃(1185)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまったことから村々の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉(はくち)二年(651)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(えいしょう:1046~1053)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事に渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。

鳥越神社界隈今むかし
鳥越の西端、旧西鳥越町はかつて明治大正昭和に亘り、旧二長町・竹町・小島町と隣接し家内工業地帯として栄えた。旧鳥越本通り商盛会(現おかず横丁)と佐竹商店街、美倉橋通り商店街、三味線堀小売市場等が隣接し、有力商店が軒を並べていた。鳥越キネマ、鳥越日活館また近くには新東京など映画館も三館あり、長い商店街に沿って露店が出店するなど夜遅くまで賑わい浅草六区に次ぐ盛り場であった。
*******下町まちしるべ*******

蔵前通りと清洲橋通りの交差点。

吉野家と対角線にあるコンビニの場所は、その昔は映画館・・・

鳥越一丁目交差点

この界隈は、浅草六区に次ぐ賑わいだったんですね。

今は、面影も、、、

台東区地図内の浅草鳥越一丁目の位置図(緑部)

浅草鳥越一丁目位置図

 この町名由来を探し始めてからも、何回、何
十回と通っていたのに、約二ヶ月も気付きませんでした。

現在の地図にあてはめた浅草鳥越一丁目区域図(緑部)

浅草鳥越一丁目区域図

もちろん、自分の足で朝ランニングして撮りに行きました。

悔しかったので、その足で上野方面の3町会を見つけました。

地名 浅草鳥越一丁目

 という訳で、43番目にみつけ15番目の紹介になりました、
フダヤドットコムのお膝元「浅草鳥越一丁目」の紹介でした。

そして、今日さらに3つ増えたので、その数46(^^)v
これまでに見つけた全旧町名一覧のページは↓まだまだ探します

⇒旧町名案内 町名一覧
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