浅草鳥越
名入れ 彫刻木札専門店
代表職人芳雲の木育て日記

ブログサイト

2013年12月13日(金)

旧町名由来案内「旧浅草北仲町」

カテゴリー

先月、新調された雷門の大提灯が、初々しさを感じます。

浅草風雷神門

何度も、何度も、何度も、みているこの景色。。

・・・この周辺ではあの看板を見かけない???

いやいや、絶対にあるはず!!!

裏の学校とか、公園とか・・・ない、、ない、、、

雷門通り周辺

ない。。。

と思っていたら、この雷門通り周辺に6つの町名由来案内を見つけてしまいました。 雷門、田原町、北田原町、松清町、田島町・・・

こんなに堂々と掲げられているのに、前も何回も通りました。それでも、気付かないものは気付かない。

見つけた案内板は、こうして画像を撮って一覧に追記をしております。
⇒旧町名由来案内の一覧

そして、今日の紹介は、このシリーズ14番目『浅草北仲町』です。

浅草北仲町 渋し

確か、三社祭では「浅草一丁目三栄町会」の一部だったような。

僕も、この町名は初めて知りました。
地元の方でも知っている方は少ないのでは???

てことは!!!知っているとかなりの浅草通!?だったりして!

浅草北仲町

雷門通りから堂々と!
例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草北仲町」***

雷門付近にあった仲町が二つに分かれ、西仲町と東仲町になったのは寛文五年(1665)のことである。その後しばらくして、明治五年(1872)に東仲町から北側が分離して浅草北東仲町ができた。そして、明治四十五年、浅草北東仲町は東をはずして浅草北仲町と改められ本町は誕生した。しかし、昭和九年に浅草雷門一・二丁目ができたことによって、この付近は大きく変わった。東側の大部分を雷門一町目に編入されたことから、本町はかなり小さくなってしまった。
町名の由来は、浅草寺門前にあった畑のうち中央に位置していたところにできた村という理由で中畑村あるいは仲畑村になったようだ。そして、寛永十二年(1643)に仲町と名を変えた。
*******下町まちしるべ*******

江戸初期は、畑であった名残ですね。

実に興味深いです。。

台東区地図内の浅草北仲町の位置図(緑部)  ちっちゃ~

浅草北仲町位置図

 それにしても、毎日のように通っていたのに、、
探し始めてからも、何度も通ったはずなのに。。。

現在の地図にあてはめた浅草北仲町区域図(緑部)

浅草北仲町区域図

 あれ?浅一三栄町会・・・どっか行っちゃった?

まぁ、いずれ解き明かされることに期待しまして、14番目に紹介の『浅草北仲町』でした。
シリーズまだまだネタあります。これまでに探しあてた町名は↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧
ブログ一覧に戻る

◇復活願!旧町名のこと

の記事

◇復活願!旧町名のこと の記事一覧