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テーマ別一覧↑↑↑にも、まとめシーリズ化しております。下町台東区の旧町名由来のご紹介。
そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのか?
現存する町名だけなく、古い土地の呼び方などを入れて木札のご依頼をいただく事が多く、そこで現在無くなってしまった旧町名に興味をもち調べはじめました。
詳しくは、以前の記事をご覧いただくとして、
この「旧町名由来案内」を探すにあたり、自分に誓ったことがあります。
それは、自分の足で写真を撮りに行く!
地元の昔の事を知るのなら!と、私のいる鳥越からの距離感、町の雰囲気などは、実際に足で行った方が感じる事も多いのではないか!
なんですが、小さいと言っても台東区一周すれば結構な距離になります。
鳥越から上野公園まで約2キロ、そこから北西へ約2キロ、片道4キロ。で到着。。ぎょぎょ
10番目の紹介になりますが、これまでにご紹介した中で一番遠い町会で、錦絵の開祖と言われる方のご縁もあるそうです。
へぇ~!!!
それでは、例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 谷中三崎町」***
「三崎」のいわれは諸説あるが、この地が駒込、田端、谷中の三つの高台に向かっていることから名付けられたとする説が一般的である。
本町は、元禄年間(1688~1704)のころすでに谷中村からわかれ町屋を形成していた。その後、明治4年(1871)に南北二町にわかれ、谷中三崎町南側および谷中三崎町北側となった。しかし、同六年には付近の大円寺をはじめておする六カ寺を合併するとともに南北二町は再び一つになり、もとの一町にもどった。
本町の中心を東西に通る坂が三崎坂。谷中には、由緒ある寺院が数多くあるが、この三崎坂の途中に大円寺がある。ここには、江戸時代に浮世絵画家として活躍した「錦絵の開祖 鈴木春信」の碑が建っている。
*******下町まちしるべ*******
「火消しの錦絵」「江戸文化」共に興味を持っておりましたので、錦絵の開祖である「鈴木春信氏」のお名前は頭にあったので、こうして谷中三崎町にご縁があるとは!!!初めて知りました。
台東区地図内の旧谷中三崎町の位置図・・・
あれ!↓↓↓谷中三崎町の先↓↓↓
谷中三崎町の位置、その先にもまだ台東区の区域あるじゃん。。。
現在の地図にあてはめた旧谷中三崎町の区域図
また走らなくては・・・
ようやく、台東区北西方面の旧町名由来を紹介することができました。
どんどん増やしてまいります。
◇復活願!旧町名のこと
の記事