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そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのかと言いますと!
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。例えば、こんな風に旧字書きで↓
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
例えば、武州・信州・備前・筑前など大きく地方名を入れる方、
鳥越、小島、佐竹など小さく町名を入れる方さまざまなんですが、
皆さん、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
しかしながら、これだけご依頼をいただくということは、今でも深く印象に残っているということ。
江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く、風情があり、何と言っても覚えやすい!
私の居る、ちょいと隣の鳥越や浅草の方も、「お稲荷さん」と言えば『下谷神社』を思い浮かべる方も多いと思います。
また、時代小説などでも度々登場し、文化遺産としての価値も高いのではと興味を持った訳であります。
せっかくなら、これだけ情報処理能力が発達した現代であれば、旧町名復活も夢ではないのではと思い、まずは、地元の事から知ろうと思い出会ったのが↓↓↓
普段何気なく見過ごしていたこの旧町名由来案内、下町まちしるべ!
前置きが長くなりましたが、8番目の紹介になります『 南稲荷町 』。
例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 南稲荷町」***
明暦三年(1657)の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転してきた。そして、唯念寺、成就寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋が形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は、町内に稲荷神社があったので、俗に稲荷町一丁目と呼ばれていた。また、成就寺の門前町屋は稲荷町といっていた。
明治二年、これらの門前町屋は、隣接する辻番屋敷を合併して下谷稲荷町と名付けられた。稲荷神社は、現在の下谷神社である。
明治五年、下谷稲荷町は、現在の浅草通りで南北にわかられるとともに、下谷江島町をあわせて、下谷南稲荷町が誕生した。その後、明治四十四年に下谷の二字をはずして下谷稲荷町となった。
*******下町まちしるべ*******
台東区地図内の南稲荷町の位置図(緑部)
お隣の小島町は、小島屋さんが由来なのか!
現在の地図にあてはめた南稲荷町区域図(緑部)
このシリーズ、まだまだ続くのですが、
この案内板の写真をとるにあたり、当初より決めたことがあります。
自分の足で、走って撮影に行きます。
だって、その方が土地勘や町の雰囲気が、よくわかりますからね。。。でも、近場がなくなってきた~(汗)
◇復活願!旧町名のこと
の記事