旧町名 願:復活シリーズ!
そう、シリーズ化しそうなので、左側メニュー『ブログテーマ一覧』の中にカテゴリを作りました。⇒復活願!旧町名のこと
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え~と、まずは近場の有名どころから紹介したいと思います。
隅田川にかかる蔵前橋のたもとにある碑。
全国に散在する江戸幕府の直轄地、天領からの御米が収納・保管された倉庫=蔵があった。とあります。
徳川幕府の御蔵。
台東区の旧町名由来案内もありましたので、こちらより由来を書き写してみます。
***旧町名由来案内「旧 浅草蔵前」***
本町は、付近の九ヵ町を整理統合して昭和九年(1934)にできた。蔵前と言う町名が初めて付けられたのは元和七年(1621)の浅草御蔵前片町である。この付近に徳川幕府の米蔵があったことから付けられた。
米蔵は、全国に散在した幕府直轄領地から送られた米を収納するために造られた倉庫で三ヶ所あった。大阪、京都二条の御蔵とあわせ三御蔵といわれた。その中でも特に浅草御蔵は重要であった。米蔵の用地は元和六年に鳥越の丘をけずり、その土砂で隅田河岸を整地し造成された。当時、六十七棟もの蔵があったことから約六十二万五千俵(三万七千五百トン)の米を収納することができた。この米は、幕府の非常備蓄米としての役割と領地をもたない旗本・御家人に支給する給料米であった。
*******下町まちしるべ*******
台東区地図内の浅草蔵前(緑色)の位置図
現在の地図にあてはめた浅草蔵前(緑色)の地域
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