大江戸神輿まつりの報告は、いずれしようと思いますが、、
先日より、
旧町名は場所が分かりやすいし覚えやすい!
鬼平などの時代小説にもたくさん出てくる地名!
歴史的な文化遺産!では!?復活しないかな~
ということで、旧町名について何度か取り上げてきました。
10.上野戦争(戊申150年 旧暦5.15 新暦7.4今日) 旧町名由来案内特別編「旧東黒門町」
9.鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠
3.「主君の仇討ち!目指すは本所松坂町!」あれ?吉良邸がない!?
旧町名とは限らず、
皆さんが住んでる地域や地方、所縁のある地の名称や
歴史的な呼称「武州、奥州、信州」などなど、地を差す名には何らかの愛着があるものと思います。
私共のある台東区、、
台東区より「浅草!とか上野!」の方が通りが良いかもしれませんが、どちらも行政区の区割りでいいますと台東区内ということになります。
「旧:浅草区と下谷区」が合併してできた行政区=台東区なのですが、
土地柄、旧町名の方が覚えやすい、場所が分かりやすい、何て声を耳にします。
歴史的な文化遺産との捉え方もあるからでしょか、
台東区内のあちこちには、こんな案内板が点在しております。
***旧町名由来案内「旧浅草鳥越二丁目」***
本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代の後期の頃(1185)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまったことから村々の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉(はくち)二年(651)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(えいしょう:1046~1053)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事に渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
「鳥越夜祭り」
六月九日に近い日曜日に鳥越神社の「千貫御神輿」が氏子によって町内を練り歩く。なかでも見ものは夜の宮入である。火入れ式のあとに氏子衆によってかかげられた百数十の高張提灯と担ぎ手の熱気によって祭は最高潮に達する。
*******下町まちしるべ*******
まだまだ、台東区内にはこうした旧町名由来の案内板が多数みられますので、まずは知識として改めて勉強しながら、徐々にご紹介をできればと思います。
◇復活願!旧町名のこと
の記事