さて・・・
そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのかと言いますと!
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。例えば、こんな風に↓
お祭りなどでは旧町名が使われる事が多くありますので、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
しかしながら、これだけご依頼をいただくということは、今でも深く印象に残っているということ。
江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く、風情があり、何と言っても覚えやすい!
また、時代小説などでも度々登場し、文化遺産としての価値も高いのではと興味を持った訳であります。
そして、これだけ情報処理能力が発達した現代であれば、旧町名復活も夢ではないのではと思い、まずは、地元の事から知ろうと出会ったのが↓↓↓
これです。。。
この公園・・・怪しいな~と思っていたのですが工事中の柵の中。
だんだん、ありそうな所が分かってきたました。
旧町名由来案内、下町まちしるべ!9番目の紹介になります『 浅草芝崎町 』。
隙間から撮影したので、いつもと角度が違いますが、例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草芝崎町」***
明暦三年(1657)の江戸大火後、日輪寺、天嶽院、東光院、称往院等の寺院がこの地に移ってきた。その後次第にこれらの寺院の前に町屋が形成され、門前町ができた。明治二年(1869)になると、このうちの日輪寺および東光院の門前町が合併され本町は誕生した。そして同五年にこれら四カ寺を合併して町域を広げた。さらに昭和十一年には、浅草新谷町の南側と浅草千束町一丁目の一部を合併して三丁に分けられ、本町は確定した。
町名のいわれは、むかし日輪寺が芝崎村(現千代田区大手町付近)にあったことから、当地に移転したあとも芝崎道場と呼ばれたのにちなんでいる。
本町の東側にある広い通りが「国際通り」。以前、町内に「国際劇場」があったことで名付けられた。現在、その跡地には超高層ホテルが建ち、浅草の新名所になっている。
*******下町まちしるべ*******
「国際通り」の由来は『国際劇場』・・・
『ドリフ』で『おいっす!!!』しにいったな~、
『錨さん:声が小さい!おいっす!!!』
『子供達:おーーーいっす!!!』
『錨さん:しーーーっ!うるさい!敵にばれる!』
いやーーーっ、あのやり取りは楽しかったな~
台東区地図内の浅草芝崎町の位置図(緑部)
「国際通り」の名称が「国際劇場」から来ていたとは、何となく知ってはいたものの、活字で見ると新鮮です。
現在の地図にあてはめた浅草芝崎町区域図(緑部)
ドリフターズも来た「国際劇場」の跡地は、ビューホテル。
寅さんでも「国際劇場」よく出てたな~。
ヒロインとの叶わぬ恋。ははは、すっかり昭和だな。
◇復活願!旧町名のこと
の記事