お祭りは、ただただバカ騒ぎのように見られる面もありますが、本来は、五穀豊穣だけでなく、地鎮や息災を願う神事であることは云うまでもありません。
ここ浅草鳥越周辺では、ゴールデンウィークが終ると祭り囃子が響き始めます。
まずは、今日明日は上野駅周辺の下谷神社のお祭りがスタートになります。
下谷神社のお社があるのは、旧南稲荷町が在所ですが、冠となっている下谷の町名。
山車にはしっかりと「下谷町」の文字が刻まれております。
東京下町のお祭りは旧町名で運営されている所も多く、随所に名残りがあるのが神事である御祭礼とも言えます。
お木様(おこさま:木札)のご依頼も、現在の町名だけでなく、古い地域の名称でもご依頼をいただくということは、今でも深く地元の人の心にそれぞれの歴史があるということ。
上野駅前、おもちゃのヤマシロヤ横のガード沿いの道ですが、町会の神酒所が建てられお祭りの雰囲気が出てまいりました。
明日5月8日の夕方前には、この通りにも下谷神社の大きな御本社神輿の渡御が行なわれます。
・・・いつも、いつも前置きが長くなってしまいますが、
この通りに「下谷町」の看板をみつけました。
上野御徒町、繁華街の真っ只中ということで、看板は少々残念なことになっておりますが、いつもの通り「下町まちしるべ」を書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 下谷町」***
寛永元年(1624)藤堂高虎の屋敷が上野台にあったことから、天海僧正が江戸城鎮護のため建立を思いたったおり寄進され「花の山、昔は虎のすみかなり」と詠まれている。
「金銀の寺より光る寛永寺」が徳川家の庇護のもとに完成すると山下にあった下谷村は門前町として上野広小路、下谷町一丁目、二丁目と称し商人の町として栄え、江戸文化の中心となり、以来三百七十年の歴史を誇る庶民の町として現存している。しかし、昭和三十九年十月の住居表示で上野六丁目に変更された。
町名の由来は、この付近が江戸時代以前から下谷村と言われ、町としても最も早くできたことにちなんでいる。
「アメ横」は、戦後すぐにできた我が国初めての輸入商品を主体に扱う商店街である。その多様さ、目新しさで多くのお客が来ている。また年末の売り出し風景は全国にも紹介され、歳末の風物詩にもなっている。
*******下町まちしるべ*******
案内板には詳しい由来はでていませんが、書籍で調べてみますと「上野台の下の谷」の意と、「江戸城を築城した太田道灌の血をひくとされる太田三楽が武州下屋に砦を作った」と、これらが下谷町のあたりか・・とあった。
上野の駅前の丸井ビルの周辺です。
そして、下の区域図は、どうやら場所が間違えているようです。
上野駅広小路口前、おもちゃのヤマシロヤ周辺の町会です。
そして、来週は浅草の三社祭、入谷の小野照様のお祭りになります。
下町のお祭りの先陣をきる、48番目の紹介は「下谷町」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
の記事