このシリーズ50番目のご紹介になります「台東区内の旧町名シリーズ」。
この周辺の一番最後のお祭りが合羽橋道具街中央付近にある矢先稲荷神社は『旧松葉町』に鎮座しております。
さて、お祭りが盛んな台東区・・・
台東区というより、浅草とか上野とかの方が分かりやすいのだと思いますが、浅草も上野も台東区内。
上野と浅草の間、やや浅草よりある合羽橋道具街の中央、西側にある旧松葉町。
そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのか?
なぜ調べ始めたのか?といいますと、
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
「浅草」とか「上野」とか地域全体の呼称を入れて彫刻する方もいれば!武州・信州・備前・筑前など大きく地方名を入れる方、鳥越、小島、佐竹など小さく町名を入れる方さまざまなんですが、
それだけ、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
特に江戸の町名は、生活から出てきた名称が多く、風情があり、何と言っても覚えやすい!お祭りなどの町会名は、旧町名の町会も多く、お祭りの時は氏子地域と云う事もあり、昔の区分けで催行されていたりします。
したがって、この付近の方は現町名の「松が谷」と町名を入れる方より「松葉町」と入れる方が圧倒的に多いのです!!!
旧町名は、その土地に根付いた生活から出てきた町名が多く町域も適当な大きさの事が多く、とにかく分かりやすい!
公園の名前も「松葉公園」小学校も「松葉小学校」・・・
公園や小学校の名称で、旧町名が残っていることが良くあります。
しかし、これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと建てられていたコレ
これまでに紹介した49町の案内板、ほとんどの町会が1ケ所に建てられているのですが、
なんと!この松葉町は三カ所に設置されているだけでなく!
その内容も、一部差し替えられて全部違いますので、上から順=南から順番に、それぞれ書き写してみます。
***旧町名由来案内「旧 松葉町」***
1.松葉公園版
*この付近は元禄十一年(1698)に勅額火事といわれる大火に見舞われ焼失した。跡地には多くの寺院が移転し、門前町が開かれるの伴って新寺町と呼ばれるようになった。
本町は、明治二年(1869)それまであった浅留町と浅草坂本町に付近の門前がひとつになってできた。町名は新寺町の名主高松喜内の「松」と坂本町名主二葉伝次郎の「葉」をとって名付けられた。*
-江戸上水道恩人の墓-
神田上水は江戸に初めて開設された上水道で徳川家康が天正十八年(1590)に大久保忠行に命じて造らせた。やがて江戸の沈香もふくらみ、新たに上水道の増設にせまられた。そこで明治有られたのが加藤庄右衛門、清右衛門の兄弟。羽村から多摩川の水を引くことになった。難工事の末、承応三年(1654)に完成した。幕府は兄弟の功を賞して玉川の姓を与えた。聖徳寺に眠る。
2.矢先稲荷神社版
本町は、明治二年(1869)それまであった浅留町と浅草坂本町に付近の門前がひとつになってできた。町名は新寺町の名主高松喜内の「松」と坂本町名主二葉伝次郎の「葉」をとって名付けられた。
寛永十九年(1642)、この地域に「通し矢」で有名な京都東山の三十三間堂になたって浅草三十三間堂が建てられた。元禄十一年(1698)に勅額火事といわれる大火に見舞われお堂は焼失したが、深川で再建されたことから跡地に下谷あたりの寺院が移転して寺院街を形成した。そしてこれらの寺院に門前町が開かれるに友経って、新寺町と呼ばれるようになった。浅留町と浅草坂本町ができたのもこの頃である。
矢先稲荷神社は、三十三間堂の鎮守として稲荷神を祭るのに始まった。そして、社名は弓術練習のために造られた三十三間堂稽古場的先に奉祭されたことから、このように呼ばれた。
3.合羽橋本通り版
*記し間は「1.松葉公園版」に同じ。*
町内に「河童大明神」で知られる曹源寺がある。昔、このあたりは土地が低いため絵馬が降るとたちまち水が出て人々は苦しんでいた。雨合羽商の合羽川太郎は、これをみてだまっていられず排水のための堀割を作ろうとしたが工事は思うように進まない。そこにかつて川太郎に助けられたという河童が出てきて川太郎の工事を手伝い、困難な工事をまたたくまに完成させたという。こうようなことから曹源寺には川太郎の墓とともに河童が大明神としてまつられたという。
*******下町まちしるべ*******
町名の事を興味をもってみはじめたことで、
合羽橋の歴史や矢先神社の言われまで知ることを得ました。
台東区の丁度真ん中あたりにみえますが、
昔は、水に悩まされたのでね。
この合羽橋道具街の通りの名は「新堀通り」といいます。
今でこそ、暗渠で埋められてしまいましたが、ここに堀川があり南下し浅草橋の手前で大川(隅田川)へ流れ込んでいたのです。
50番目の紹介は、合羽橋道具街中央西側の「松葉町」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
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