御神輿の渡御順路が示された朱引き。
左は見慣れた本年平成二十八年の鳥越神社御本社神輿の朱引き。そして、恐らく・・・100年と少し前のものと思われる朱引き。
左下の隅に
『四十五、二、八』? と見える表記。
これを明治45年と見ると、今から104年前の朱引きということになります。
見出しは『毎歳六月九日 鳥越神社例祭』とあり、その横に「松山丁 アベ川丁 永スミ丁」など、町名が見られます。
今でこそ、交通事情により6月9日に近い週末に催行されておりますが、以前は六月九日の縁日を中心に前後数日間の日程であったと、別の文献に見られます。
全体像は、こんな感じです。
鳥越神社の周辺には「トリコエ丁」の文字は見えますが、現鳥越1丁目の前身である「西鳥越町」の文字は見られず「忍藩邸」と表記されております。
周辺も他藩邸や武家屋敷が、かなり多く見られ町人の住むところはとても少なかったことがうかがえます。
次に大正15年の朱引きを見てみましょう。
こちらの見出しには、
『大正拾五年六月九日 鳥越神社御神輿行列』とあり町名も「北松山町 南松山町 阿部川町 永住町」など現在の祭礼町名になっております。
こうした趣きのある町名も、残念ながら現住所表記にはなくなり旧町名ということに・・・
・・・そして「御神輿行列」とあります。
昭和40年代までは本祭りと陰祭があり、隔年で御本社神輿と連合渡御が行なわれていました。「神輿行列」ということは、陰の連合渡御の年だったのでしょうか。
鳥越神社周辺の区画を見ますと、ほぼ現在の区割りになっております。
ありましたね!西鳥越町!神社の直ぐ隣まで町域がありました。
この西鳥越の大半が現鳥越一丁目町会になる訳ですが、どういう訳か「元鳥越・西鳥越」両町会の御神輿を鳥越一丁目町会が保有しており、
隔年交互で、本年平成二十八年は「通称:東の神輿」と我々は呼んでいる屋根が黒い神社の御本社神輿に似た町会神輿が町内を練り歩く訳です。
と、いう訳で、お祭りを迎えるにあたり店頭に貼りだしてみました。
お祭りの特別企画もございます。
どうぞ、この機会に鳥越の路地裏にお立ち寄り頂ければ幸いです。
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