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代表職人芳雲の木育て日記

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2011年10月27日(木)

湖彪会 琵琶湖北東湖畔 虎姫訪問

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この訪問の際に、
15代続く若き酒蔵の頭首が口にしたこの言葉が頭を離れません。

 『 この地域のこれまでの歴史の中で
今が一番寂しいことになっているのかも・・・ 』

先日、滋賀県は琵琶湖の北東のほとり虎姫地区、現長浜市へ行ってまいりました。

地元、台東区が主催する台東区経営者サポートセミナーの自主勉強グループ「台彪会」の仲間と共に、セミナーの講師であります二条彪先生にご引率いただき、同じく二条先生の元で毎年勉強を重ねている「湖彪会」さんの皆さんにお会いするためです。

と申しますのは、
来年4月20日に全国にいる二条彪先生のファンの方々にお集まりいただき開催する「ニッポン全国彪友会-台東万博-」を我が「台彪会」が主催することとなり、その表敬訪問ということであります。

さらに、二条先生のはからいで、セミナーに参加する湖彪会メンバーさんの企業訪問をさせてだけることになりました。一般的な旅行では、こうした企業の中まで見ることはできません。

こうして現場を見学させていただくことは「ものづくり」をする私にとって何よりの勉強になり、新しい気付きを発見するまたとない機会であります。

はやる気持ちを胸に・・・
到着後は、湖彪会の皆さんと机を共に合同勉強会としてセミナーに参加をさせていただきました。すでに同行した仲間達がブログなどへ掲載しております
・いざ虎姫 殿!ちんや6代目
・表敬訪問 サトウサンプル社長
・いざ滋賀県長浜へ 柿本の人麻呂
湖彪会-表敬訪問 指宿名人
湖彪会表敬訪問 文豪 梅之慎 種亀6代目

せっかくのご縁を頂戴しましたので私なりの視点でも書き残しておきたいと思います。

そこで冒頭にも申し上げましたが、企業訪問した先の
15代続く若き酒蔵の頭首が口にしたこの言葉・・・

  『 この地域のこれまでの歴史の中で
今が一番寂しいことになっているのかも・・・ 』

・・・そこで訪問した琵琶湖周辺の歴史を大まかに振り返ってみました。

-琵琶湖 湖北地方

訪れた長浜市虎姫地区は琵琶湖の北東右上★印のあたり、木之本町はその少し上にあります。琵琶湖といえば、戦国時代の歴史の中心の地。

中でもカリスマ的存在であった織田信長公が築いた安土城は、琵琶湖のほとり東岸で「近江商人」としても知られる近江にあり、上の画像「下の湖彪会の文字の湖の左、彪の上」のあたり。

また、関ヶ原を含め桶狭間、長篠、姉川、賤ヶ岳の各合戦は琵琶湖中心とした周辺での出来事。西岸には京の都、東南にある尾張、三河、駿河など信長公や家康公のお膝元、さらに南下すると「お伊勢参り」として知られる神社の総鎮守伊勢神宮があり、東には武田信玄公の甲斐の国・・・

当時は、京の都を夢見る時代でありましたから、そのすぐ隣に位置する琵琶湖周辺と隣接する國々を見れば交易の要所であったことが容易に想像されます。

そして、訪問した長浜の地は、琵琶湖から越前~日本海へと北に向かう北国街道の中間地点。その先には、越前の國、さらには江戸時代に加賀100万石といわれ北陸で隆盛を極めた前田利家公でも知られる加賀の國へと続きます。

逆に北陸側から琵琶湖を見ますと右手西岸は京へと続き、左手東岸は彦根、近江の安土から尾張、三河への分岐点となるのが今回2社を訪問させていただいた現長浜市木之本町ということになります。

その後、豊臣秀吉公の戦国の世に終止符が打たれ徳川家康公の江戸へと文化の中心がしだいに遷っていくわけですが、朝廷は京にあり、大坂は天下の台所とよばれ、江戸へと運ばれるものは「下りもの」として貴重に扱われていたことを考えますと、大坂や京の都~東国、北国への分岐点ともなる琵琶湖周辺は、大変な賑わいであったと想像されます。

また行程中に
「かなり古い木之本町周辺北国街道の写真」を見る事ができました。

人の往来も盛んで活気に満ちた画でしたが「写真」で見ることができるということは、古く見積もっても100年前頃までは、そのような活気があったということになります。

確かに、それを持ってすれば現在の姿は少し寂しい気がしますのが、しっかりと15代も続く企業があり、創業100年を越え世界に羽ばたこうとしている元気な企業もある。また、新しい一歩を踏み出す企業もある。

それにはどんな秘訣があるのか!?

長年、続けていくことのヒントがあるでは?

そんな事を思いつつ・・・
湖彪会メンバーの企業訪問を記してまいります。

→1件目:見付屋さんにての食事へ、つづく

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