木札の由来でもある江戸時代の火消しの『消し札』
皆が恐れた火事の中を危険をかえりみず勇んで消化にあたる
火消し衆は町人たちの憧れの的でもありました。
その火消し衆をまとめる火消しの頭は
器量のある中で町民に親しまれたヒーローであったことは
これまでにも度々お伝えしてきました。
「 火事と喧嘩は江戸の華 」
と、いわれるほどに江戸の町は火事が多く
江戸の大半を焼き尽くす大火事にも度々みまわれました。
殿様が住む江戸城でさえも一度ではなく度々延焼にあったほどです。
もちろん幕府も、手をこまねいて何もしなかった訳ではありません。
「大名火消」や「定火消」を整備し火事への対策をとりましたが
この「大名火消・定火消」は、お役員様の組織。
封建制度であった当時、
武家屋敷を守るためには消防、消化にあたるものの
町民の地域へは、協力的ではなかったことが伝えられています。
当初、町人地域は火消しの整備はされていませんでしたが、
火事にお武家様も町人様も区別はありません。
そこで町方にも火消し衆をということで
時代劇などでも有名な大岡越前守の下で「町火消し」が整備されました。
暴れん坊将軍などでは「め組」頭(かしら)として
北島三郎さんが演じておりましたが
ご存知「い・ろ・は47組(のちに48組)」で始まる
各組が自分の持ち場を守りました。
しかしこの町火消しも当初は自分の持ち場だけを守り
となりの組の助けには・・・
そこで同じ地域でいろはの内の数組を1~10番組に更にまとめて
「い組、一番組」「は組、一番組」として地域で協力して
消化にあたるようになりました。
こうして当時の町民のヒーローであった火消し衆も
進化を遂げていったのでありました。
纏と共に火消しの心意気が込められた木札の由来でもある「消し札」。
以来、火難、災厄を逃れる目出たい縁起物として
庶民の染物の図案などに盛んに使われ
「江戸の粋」が脈々と伝えられております。
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