時折使っております、このプロフィール画像。
きゃ~~~!カワイイ?!
でも、この頃から頭でっかちぃーーーっ!
大きなお世話ですが、
私の小さい頃・・・
この写真の引きの画像はというとコレ↓
鉢巻は、当時の鳥越一丁目の「吉原つなぎ」で染めぬかれた手ぬぐい。
いつ頃の写真かと推測すると横に「鳥越祭りの提灯」が下がっておりますので時期は間違いなく6月初旬。
私は9月生まれなので約9か月の頃の写真ということになります。
1歳になる前から鉢巻を巻いていればお祭り好きにならない訳がありませんね。
その私を抱いているのは蒲生彫刻の2代目でもあり祖父さんの陽民。大正4年生まれで当時56歳。
昭和28年に2代目のこの祖父さんが鳥越に移ってきたので、写真の当時は鳥越の地では20年足らずということになります。
生前に祖父さんは
「俺はこの地ではヨソ者だ、お前の親父もまだよそ者だ」と
よく言っていたのを思い出します。
昔から「3代住んでようやく江戸っ子」とよく言われますが、
写真を見ていると、
きっと祖父さんは、そんな想いでいたんだろうな・・・
祖父さんから数えて3代目が私。。。その先代は九段にいたのですが・・
まぁ要は3代住んでやっと土地の人、いわゆる土地っ子に「お前はなるんだぞ!」。
そんな僕は、ブレなくお祖父さん子でありました。とても可愛がられた僕はいつ祖父さんと一緒。
普段はというと祖父さんのあぐらの上に、ぴょこん、と座って仕事を膝の上から見ておりました。
訪れてくる祖父さんの仕事仲間からは
「 よっ!4代目!
将来は、彫刻屋さんかな!?」
何て言われたり、出かけて知り合いに会った時にも自慢げに
「家の跡継ぎです」
と言われ育ったのを今でも覚えております。
そして今・・・
当時とは、ちょっと違うものを作っておりますが、しっかりと蒲生彫刻を継いでおります。
父でもある3代目と共同作品も作ることができました。⇒純銀製象嵌木札
お祭りはもちろん、彫刻の仕事も英才教育だったんだ。。
これからも良い仕事ができるよう、ここ鳥越で精進してまいります。
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