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長かった初フルへの挑戦!東京マラソン2021
あまり苦しいのは・・・と思いつつも走るなら東京マラソン!と、軽い気持ちで応募。
2020東京マラソン当選のお知らせ
ゆるーーーい感じの応募ですので、エントリーを忘れた年もありましたが(笑)、
あっ、当たっちゃった
通知が来たのが2019年の9月中旬。
東京オリンピックの前に、オリンピックコースに近い地元の公道を走れるんだ!と喜び勇み、せっかくなら目標は大きく「目指せサブ4(4時間切り)」を掲げ木札に刻んだ2年前。
新調した2足の靴も木札も、まだ綺麗。
大会中止~オリンピックマラソンコース変更、そしてまた延期
そして2年前の中止、さらにマラソンコースが札幌へ変更~オリンピック延期。
令和3年2021夏に東京オリンピックは開催されたもののオリンピックコースでなくなっちゃった。残念。
それでも出走の権利だけは移行され、昨令和3年の10月17日に決まったものの延期。令和4年3月6日へ。
一応、目標に掲げちゃった「サブ4」を目指すために、それなりに走り込みました。
が、中止・延期の度に、練習のモチベーションは下がる一方。好きでしていることとはいえ、また延期?も慣れっこの世の中に。
毎回、毎回、今回こそは!と思い、今年に入ってから、それなりに走り込み2年も使えば靴も木札もこんな感じになりました。
開催決定も出走できるかは直近まで分からない
いよいよ開催判断が発表される2月4日、新型コロナウイルス感染症の動向を見極めるため2月18日に再発表とお知らせがあり、加えて一旦はワクチン接種証明で参加可能とされておりましたが、当初の通り全員のPCR検査を実施する旨の報告がありました。
加えて体調管理アプリで体温と体調を10日前から大会後も2週間報告することが義務づけられ、現在も報告を続けております。
自己申告ではありますが、直前の大会受付で、それまでの体調をチェックと共に「アプリの顔写真・顔写真入りの身分証明書・実際の本人の顔を照合」の上アプリの顔写真をロックされた印が『赤い鍵マーク』です。
このアプリを当日の入場ゲートで顔写真の照合および体温チェックという、かなり厳格さを感じる態勢だと今、思い返されます。
大会開催決定時に感じたこと
話は少し遡り、開催の有無が発表される2月18日。
まん延防止条例が3月6日まで延期されることが決定的でありましたが、開催に向けて準備をしているとのお知らせをいただきました。
仮に検査や体調不良で出走できなかったとしても開催されることは、とても嬉しいことと思いました。
それは、いくら「withコロナ」とは言っても名ばかりで、ちょっと増えると延長、延期、あれもダメ、これもダメ、数が減ってもリバウンド云々、、、できないんじゃない!と?
我々、一般ピーポーは、これまでも人流を制約される中で何とか知恵を絞って仕事を続けきています。様々なご支援もいただいておりますが、続けていくためには中止とかダメとか言っている余裕などなく、現状を受け入れて出来ることを探して進んできたこの2年間。
その様な状況の中で、行政様が覚悟をして「withコロナ」を一歩進めてくれたと思える大会になったと感じました。
何といっても良きも悪きも東京からなのでしょうか。そこに参加できるのであれば嬉しい、それが生まれ育った地元の公道を大手を振って闊歩できるのですから!
したがって、ここに写っている方は、前3日以内に陰性が証明され当日までの体温も正常な方々(笑)!
それでもスタート1分前まではマスクの着用が義務付けられ、一般ランナーは、スタート後も密集が分散するまではマスクをしたまま走られている方が、ほとんどでありました。
いよいよスタート~ ドーン!
ドーン!と号砲も3回に分けてのスタート。
第1ウェーブ9:10
第2ウェーブ9:25
第3ウェーブ9:35 ←スタート!
初マラソンで目標はサブ4ですが予測タイムを5時間30分と申請したのでA~Lに分けられたブロックは最後から2番目のKブロック、ほぼほぼ最後方からのスタート時間は9:37でした。
レースペースと心境を表す画像たち
ずばりレースラップ!
5キロごとの通過タイムより出してみましたが、こんな計算も即日にできるんですね。
さて、5キロの飯田橋付近、まだこの人混み。
サブ4を目指すには10Kまでにペースを上げきれなかった事が要因の一つであることが判明しました。
この人混みを縫いつつペースを上げるのは至難の業。
それでも10キロの地元台東区上野辺りからは、人がばらけ始めてラップが上がり始めます。
その後、日本橋まで南下、水天宮から浅草橋~蔵前を通過して浅草周辺へ
駒形どじょう周辺の約17~18キロ付近、人混みもばらけ始めペースも安定し始めた頃、
雷門を折り返しても、おどけて見せる余裕があります。
はい、この余裕の顔を覚えておいてくださいね!
蔵前橋を渡り、一路深川は富岡八幡宮を折り返し、蔵前橋を再度戻り渡り浅草橋~水天宮から、いざ華の銀座は34キロ地点。
ペースがタレ始めた、、、これが噂に聞いた地獄の30キロからか、、、景色を見る余裕なんかないぞ~
いやいや、35キロまではきたものの、進まない、進まない、足がでない。
早く折り返しの第一京浜!第一京浜!こない、こない、行けば行くほど折り返しからが長くなる、ようやく辿り着いた残り約1キロの日比谷公園で
着ぐるみに着替えた訳ではありません。
丁度、写真を撮ってくれていた友人が着ぐるみをきた仲間を発見しパチリ!
蒲生さん見逃しちゃった~と思ったら・・・いました~
って、アゴも上がっちゃってるし、いかにも苦しそう。
でも、フルマラソンを経験された方はラスト1キロの気持ちをお分かりいただけると思います。
初のフルマラソン結果と感想と・・・
目指せサブ4を掲げてはいましたが、もう1つの目標は絶対に歩かない、止まらないことを目標にしておりました。
ラップタイムを見ても分かる通り、後半のタレは想定内として止まることなくゴールをすることができました。
走破タイム(ネット)は、4時間1分56秒。
・・・なんて思う間もなく、ゴールした瞬間に「マスクを着用は直ぐにお願いしますね~」とアナウンス(笑)!
一緒にお供をしてくれたお木様(おこさま:木札)たち。
フルマラソンで一番木札を多く持って走ったランナー(笑)、マラソン用に短く誂えた首掛け紐が塩ふいてるし、靴も2年間お疲れ様でした。
そして、一緒に出場した仲間、
出られなかったけどサポートしてくれた仲間、応援してくれた皆様、ボランティアでサポートくださった皆様に感謝いたします。あと小池さんか。。
(ボランティアの皆さんも体調管理アプリで報告しているそうです)
みんなが居なければ、ここまで追い込んで練習もできなかったし、頑張ろうとも思わなかった。
みんなで走れるってこんなに幸せなんだ!お友達のたい平師匠が贈ってくれた言霊です。
滅茶苦茶きつかった~~~そして、お疲れ様でした。
え!?
サブ4達成してないじゃん!
苦しいしぃ辛いしぃ~
でも東京マラソンに当選したら!また頑張りますよ。
開催されてよかった、苦しかったけど参加できてよかった。歩かずに完走できてよかった。
木札職人芳雲の初マラソンでした。
◇芳雲のプライベート
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