浅草鳥越
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2020年2月7日(金)

旧町名由来案内「旧山伏町」

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なんと!61町会目の町会と思いきや・・・同じ町会を2度紹介したり、数え間違いがあったり・・・改め59町会目の紹介となりました、、、

「旧山伏町」。

なんと趣のある町名・・・しかし現在は「台東区北上野2丁目」の一部。

山伏町 坂本龍之輔 木札 毘沙門天象嵌木札

どこが一丁目?二丁目?
そもそも上野がつく現町名は「上野・東上野・北上野」ってあるけど『北上野』の南側は『東上野』ってどういうこと?

山伏町 木札 毘沙門天象嵌木札

 東京23区で一番小さい我が台東区は10キロ平米余り。

浅草や上野は知られているけど『台東区って?』方も多いのではないのでしょうか。

浅草も上野も我が地元「鳥越」も台東区内、江戸の下町でありますので旧町名の宝庫的な土地でもあるのです。

台東区山伏公園内の山伏町会旧町名看板

 「北上野2丁目の南半分」が『旧山伏町会』ということなのですが、そもそも北上野、東上野、上野の町域自体が余りにも広すぎて、10K平米余りの実際の場所が把握しきれないのでございます。

しかし!
「山伏町」と聞けば、「あっ!駒形中学校のある辺りね!」と、こういう具合に分かる方も、かなり減ってきてしまったのでしょうか?

それでも時代小説などには、よくよく旧町名が出てまいりますので実際の距離感を頭の中で描きながら想像できるのは、何よりも有難いことでございます。

山伏町 黒檀 毘沙門天木札

何より郷土の歴史に興味を持つことで、脈々とその土地々々に根付いた歴史を顧みるきっかけとなり、郷土愛となって育まれて行く!!!

歴史の上に住まわっている有難さを実感するのでございます。

これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないと信じ続けている台東区の旧町名由来の看板探し!

旧町名由来案内「山伏町」

いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してまいります。

***旧町名由来案内「山伏町」***

この地は、享保九年(1724)に牛込山伏町代地となった。
牛込山伏町(現新宿区)にいた江戸城勤務の武士が、前年十二月の火災で焼け出されたことから、その拝領地が幕府に没収され、その代わりにこの地の一角に移転させられた。以来牛込山伏町代地下谷山伏町と呼ばれた。明治二年(1869)に下谷山伏町とあらため、さらに明治十年には隣接する武家屋敷等を合併した。その後、明治四十四年に下谷の二字をはずして山伏町となった。
駒形中学校校庭内に坂本龍之輔像がある。龍之輔は有能な教育者で、境遇に恵まれない子供たちの教育の推進に尽力した。明治三十四年の万年小学校の創設と、その後の運営には大きな功績を残した人である。
***下町まちしるべ***

 現在「山伏町」の名称は残っていませんが、公園の名前として「山伏」の名は残っております。

台東区地図内の山伏町の位置図
台東区地図内の山伏町の位置図

 こうした旧町名の名残は、学校や公園などの公共施設の名で残っておりましたが、昨今では改名なども検討されはじめた様で・・・

「上野●丁目第●公園」って、分かり易いのか?分かり難いのか?

「山伏公園」でいいんじゃない?と思うのは私だけなのでしょうか???

現在の地図にあてはめた山伏町の区域図
現在の地図にあてはめた山伏町の区域図

天下の日本橋にも高速道路の蓋を被せてしまった時代が、そうさせたのでしょうか。。。

再来の東京オリンピックの時期に高速道路の地中化実現の話も聞こえ始めた様です。

山伏町 木札 毘沙門天銀象嵌木札

日本橋が表に出るのがきっかけになり、旧町名も復活しないかな!?と、益々期待が膨らむのでございます。

61番目の紹介と思いきや、もとい59町
名は「山伏町」の紹介でした。

台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧

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