地元、台東区内の旧町名紹介シリーズ。
時代小説や時代劇で浅草、上野界隈はよく出てきますか、何となく浅草とか上野とか分かっても「旧町名」いったいどのへんなんだろう?
下町散策のお役に立てば!
と、記し始めて60町会目は、一年以上ぶりの更新となってしまいました。
「旧浅草新畑町」。
東京23区で一番小さい我が台東区は10キロ平米余り。
お寺や武家屋敷が多く、さらに浅草寺の北は田畑であった江戸の当時は、町家の面積は大きくありませんでしたが、所々に職人などがいる町家があった訳でありまして。
浅草も上野も我が地元「鳥越」も台東区内、江戸の下町、旧町名の宝庫的な土地でもあるのです。
しかしながら、時代の流れと共に旧町名なども文化遺産は新しい文化への上書きが加速度的に進んでいるのでございますが、土地の歴史があってこその今でありますから、これらを守りたいと思うのでございます。
歴史の上に住まわっている有難さを実感すると共に、これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないと信じ続けている台東区の旧町名由来の看板探し!
いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してまいります。
***旧町名由来案内「浅草新畑町」***
この付近は、むかしから浅草寺境内の畑地として農作物を作っていた。ところが長い間作っていたことから土壌がやせ農作物の不作が続いた。このため、万延元年(1860)に町家開設の許可を求めたところ許され、新たに浅草寺境内畑町が開かれた。その後、明治維新を経て政府は東京の市政改革を進めるため明治三年(1871)に、この地を浅草新畑町とした。
本町内には、浅草六区に続く「すしや横町」と「新仲見世」がある。これらの通りを中心に飲食街店などを形成して賑わいを見せ、「仲見世」の持つ風情とはまた違った浅草をみることができる。
***下町まちしるべ***
現在「新畑町」の名称はありませんが、三社祭祭礼時には「三栄町会」と「浅草公園町会」の一部ということになりましょうか。
浅草ロックスの南手、田原町側の一角ですが、以前はこの町域で1町会が成り立っていたのだと思うと、当時の隆盛はいかほどであたのか?
益々、郷土史に興味を持つのでございます。
時代もの好きには、とても興味深い旧町名。
60町名は「浅草新畑町」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
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