町の文化歴史の1つが消えてなくなってしまうのでは?
という、危機感から!
「蒲生さんの住んでる辺りって鬼平とか時代小説に出てる所でしょ?
読みながら、大体の土地勘とかも解りながら読んでるんですよね~
・・・羨ましいな~」
「鬼平犯科帳」などで知られる池波正太郎先生は、台東区のお生まれご出身でありますので、台東区の施設には記念文庫もあったりしますので、これもまた全国のファンの方にはとても羨ましがられる訳であります。
かく云う私の祖父が、ここ鳥越に移り住み始めたのが昭和28年、この地で私は三代目になりますが、私でようやく地元っ子になれてきたのかなぁと感じてもおります。
ご挨拶が遅くなりました、フダヤドットコムの蒲生芳雲でございます。
こうした記事を書くにあたり、きちんと顔出ししておかないと!
えーーー、色んなところでみてるしぃ~~~、、、
前置き長ぁ~~~
さて、私が住み商いをしております「台東区鳥越」。この周辺はお祭りが盛んで、お隣の三社祭を始め、神田祭は千代田区ですが氏子地域は隣接をしている訳でお隣の祭となります。
土地柄、お祭りは大好きでありますし、各御祭礼は氏神神社を主とし各町会ごとに運営されており、お祭りに携わる地元の皆さんは、運営されるている町名に誇りを持って接している訳です。
「土地土地の地名に誇りを持つ」ことは、何も下町に限らず、全国の方も同じ思いではないでしょうか。
さらに、私は、木の札に名前などを刻む仕事をしておりまして、その中で感じる事・・それは、地名や町名などを入れてお作りする場合に、昔の呼称でお作りする方がこれまた大変多いのであります。
「甲斐・信濃・丹波・越前」とか「播州・摂州・奥州」などと大きく捉えて入れる方もいらっしゃいますし、「片町、本町」など土地土地の皆さんが愛着をもって接している呼称と覗える訳です。
そして、私達の周辺の方からご依頼は、こうした旧町名でのご依頼がほとんど。
歌舞伎十八番でも知られる日本一の伊達男
『花川戸の助六』
花川戸は、現在も町名で残っておりますが、浅草松屋周辺の隅田川沿いの方だな・・・とか、、、
「浅草6丁目ってどこ?」と、聴かれるよりも、
『猿若町ってどのあたり?』
って聴かれた方が「浅草観音裏のやや隅田川寄り!」とか、直ぐに場所がわかる訳です。
猿若・・・歌舞伎と関係がある?
台東区の旧町名由来の案内板にもありました、幕末に歌舞伎三座がこの地に移ってきた。。
そういえば・・・鳥越のお隣「二長町」の由来案内板に歌舞伎座があったと書いてあったような・・・
そこで取り出したるは明治期と思われる鳥越祭の朱引きですが、
ここには、歌舞伎の面影はありません。
さて、いつ頃移動したのかとググってみると明治25年とあります。
そこで、先日手に入れました大正十五年の朱引きをみますと
ありました!ありました!
市村座!の文字がしっかり刻まれております。
て、事は、先の朱引きは明治25年以前のもの?
こうして、歴史の点と点が線となって繋がってくると!!!
へぇ~楽しいなぁ~~と興味が益々湧いてくる訳であります!!!
さらに、さらに「黒門町!」と言えば落語好きの方には忘れられない地名ですが、、、
これも徳川家の菩提寺である寛永寺の総門が黒い門であったため、その門前町が『黒門町』広小路にそって松坂屋のあたりまで、黒門町があったのです。
こうして、生活の中から生まれてきた町名であるので、とても覚えやすく、先の時代小説などにもこうした町名が沢山でてくるのです。
しかし、
こうした町名も昭和30年代の住所表記法により大改革があり、趣きのある町名が現住所としては、一部消えてしまったのです。
戦争による打撃が一番大きなものだと思いますが、辛うじて氏神様のお祭りは旧町名で行われている事が多いため、何とか地元の誇りを失わずに済んだ・・・
いやいや、これまでは小学校や公園の名前としても残っておりましたが、新しく造成されたりすると、その名前が徐々に失われていく訳で・・・
地元以外の周りの方からは、これだけ羨ましがられる郷土の文化歴史でもありますから、
旧町名、、復活しないかな~って妄想なんですがね。
皆さん、いかがでしょうか?
旧町名の復活。。町の活性化にならないかな。。。
そろそろ時代の波の最後の方に差し掛かっているのかと感じながら、これからも発信してまいります。
ちーーー長かった(笑)
これが、旧町名を調べ始めた理由です。
もしよろしければ、これまでに探し出しました⇒台東区の旧町名案内板INDEXより散策頂ければ幸いです。
関連番外編
10.上野戦争(戊申150年 旧暦5.15 新暦7.4今日) 旧町名由来案内特別編「旧東黒門町」
9.鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠
◇復活願!旧町名のこと
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