少ない更新の中さらに紹介が少なくなってしまいましたが、旧町名復活願い!
地元ウケがとても良いシリーズですが、番外編は時代小説ファンにも受けいれられているようで、根強いアクセスを頂戴しております。
これまでの番外編
10.上野戦争(戊申150年 旧暦5.15 新暦7.4今日) 旧町名由来案内特別編「旧東黒門町」
9.鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠
3.「主君の仇討ち!目指すは本所松坂町!」あれ?吉良邸がない!?
番外編の次のネタも決まっているのですが!
さて!!!
金杉といえば鬼平ファンならピン!と来る方も多いかと思いますが、鬼平こと長谷川平蔵の盟友でもある岸井左馬之助がお静と所帯をもって住まうのがこの金杉町でありまして、
剣客商売では佐々木三冬が独身の頃、叔父の和泉屋の寮に暮らしていたのが、『金杉』の西手にある「根岸」であり、後に夫となる秋山大治郎の道場があったのが「橋場」。
「根岸」から「橋場」へ向かうには、この『金杉』をかすめて通ることになるので、「橋場」のやや南手にある玉姫稲荷なども含めて良く出てくる地名が『金杉』ということになるのでございます。
木札にはお名前と共に町名などの地名を入れるご依頼を頂戴いたします。
木札に地域との繋がりを表現するのでございます。
そうしたご依頼は、現住所よりも自治体名の町会名で入れることが多く、そうなりますと必然と旧町名が出番となる訳でございます。
郷土の歴史に興味を持つことで、脈々とその土地々々に根付いた歴史を顧みるきっかけとなり、郷土愛となって育まれて行く一面があるのだと考えられます。
これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと佇んでいる看板!
いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してまいります。
***旧町名由来案内「金杉一、二丁目」***
金杉という地名は、金曽木から転じたものと考えられている。しかし、その由来はわからない。鎌倉時代末の記録によると、この付近の地名を姓にしたと思われる金曽木彦三郎なる人物がいたことから、始めこの地は金曽木と呼ばれたようでる。そして、いつしか金杉村といわれたが、江戸時代になると町屋が造られ、徳川三代将軍家光の頃、この町が金杉上町・下町となった。
昭和十二年、旧金杉一丁目は金杉上町からわかれ、入谷町はほかの一部を合併して誕生し、同二丁目は金杉下町からわかれ竜泉寺町の西一部をあわせた。
金杉通りは、奥州街道の裏道として賑わい、今も江戸・明治の面影が残っている。なお、金曽木は、いま小学校名として残されている。
***下町まちしるべ***
先程から写っている看板周辺の風景は日光街道の裏道で、日光街道=国号4号線=奥州街道、現在の入谷から三ノ輪へ向かう西手(左側)ということになります。
台東区内には、浅草・上野という二大繁華街が江戸の頃より栄えておりましたが、大体の位置関係などを思い浮かべて頂きながらご覧いただくと、より時代小説もリアルに想像できるのではないでしょうか?
金杉も現在は無くなってしまった町名ですが、「金曽木(金曾木)小学校」が名残りとして残っております。
58番目の紹介は、「金杉一、二丁目」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
◇復活願!旧町名のこと
の記事