初めての2町名同時紹介!ブログ3話続けての地元、台東区内の旧町名紹介シリーズ。
下町散策のお役に立てば!と、記し始めて8年・・・まだ全ての町会看板を探し切っておりませんが、次にやりたい時代小説絡みの企画を思いついてしまいました。
そこで、うだうだ紹介しきれなかった町名を一気に!という訳で、62・63番目は「旧浅草新吉原角町・浅草新吉原京町二丁目」。
江戸時代からの粋な柄としてお祭りの帯や半纏によく使われる「吉原つなぎ」の帯文様。
名前の由来や意味は不明ですが、遊廓にちなんで「廓(くるわ)つなぎ」なんて粋に呼ぶ方もいらっしゃいます。
なぜ?この看板を探しているのか?
お祭り大好き=地元大好き=時代小説大好き=地元台東区にある浅草、上野が良く出てくる=町名は旧町名=お祭りは旧町名で催行されていることが多い ~の郷土史の旧町名に興味を持ち!!!
そこで区内のあちこちで見かるこの看板!
歴史の上に住まわっている有難さを実感すると共に、これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないと信じ続けている台東区の旧町名由来の看板探し!
いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してまいります。
***旧町名由来案内「浅草新吉原角町」***
元和三年(1617)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは”葭原”と呼ばれた。そして寛永三年(1626)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(1658)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するよう命じられ、翌三年に移転した。それから、この付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。
日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町の五カ町であった。そのうちの角町は寛永三年に京橋角町の傾城屋約十軒が移転してできた町である。
***下町まちしるべ***
我が鳥越は台東区の南部に位置し、吉原周辺へは浅草合羽橋を抜けるルートで走りますと約15分で片隅に到着いたします。
台東区の外周をぐるっと一周しても約19キロしかありませんので、縦につっきれば5キロとしても約30分もあれば充分にランニングで横断できてしまいます。
この台東区の旧町名看板、道端にあれば発見できる確率も高いのですが、
時には、袋小路になっている公園の中に!!!
いくら「京町公園」と公園の名前になっていても、袋小路の公園の中なんて@@
これ以上探すのは、困難を極まりない><
いよいよ最終手段の出番となりそうです。
もちろん、現存するものは全て紹介しますので、あともう少しお付き合いいただければと思います。
***旧町名由来案内「浅草新吉原京町二丁目」***
※※※冒頭部分は角町同様にて省略※※※
日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町の五カ町であった。そのうちの京町二丁目は一丁目より遅く、元和六年(1620)頃にできた町で、大阪や奈良から移ってきた人達が営業をはじめた。
***下町まちしるべ***
ちょっと由来が曖昧ですが、関西から移ってこられた方の町が「京町」となったとあります。
どうやら吉原には五カ町あるようですが、以前に見つけた町会も含めて3町名しか見つけられていません。
さて、、、
この界隈をあまりウロウロするのも、、、
どなたか見つけたら教えてください(笑)。
62、63町名は「旧浅草新吉原角町」「旧浅草新吉原京町二丁目」の紹介でした。
台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧
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