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2016年12月28日(水)

旧町名由来案内「旧光月町」

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このシリーズ52番目のご紹介になります「台東区内の旧町名シリーズ」。

光月町(こうげつちょう)・・・風情があっていい名前だなぁ~

光月町立花亭

あれ?

今の地図を見ても「光月町」なんてないぞ!

そっか、現町名は千束二丁目と入谷二丁目の一部ってことか。

光月町区域図

 現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。

また現町名は町域が大きすぎ●丁目といっても、町のどのあたりをさしているのかよくわからない。

しかし、「光月町」と言われれば、合羽橋商店街の少し北の当たりで、とか直ぐにわかります。

それは、お祭りでは旧町名で催行されている町会が多く、

鳥越祭三社祭神田祭

この光月町も三社祭の西部一町会として辛うじて町会名として残っている訳であります。

恐らく、この町域に住んでおられる方で、地名を入れてお木様(木札)を作るとしたら、「入谷・千束」ではなく、ほぼ「光月」と入れてお作りになられるでしょう!断言(笑)。

光月町立花

それだけ、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。

旧町名は、その土地に根付いた生活から出てきた町名が多く町域も適当な大きさの事が多く、とにかく分かりやすい!

町名入 木札

これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと建てられていたコレ

光月町へランニング

時代小説などでも、浅草や上野といった下町がよく出てまいりますので、旧町名は歴史的文化遺産と言っても過言ではありません。

一葉桜 光月通り

明治から出来た町名も、それまでの土地に関することに由来した町名が多く郷土史を知るうえで、とても貴重な財産でもあります。

光月町

それが、、、

乱暴にも、昭和の大改編で数多くの町名が無くなってしまいました。

・・・いつもの通り書き写してみます。

***旧町名由来案内「旧 光月町」***

本町は、江戸初期まで田圃あるいは沼地だった。その後、埋め立てられ、寺院などが建てられた。
正保二年(1645)、松が谷三丁目に現存する海禅寺の東北部に新鳥越町四丁目飛地が造られ、鳥越町の商戸をここに移した。
明治三年(1870)、この飛地は光月町と改称した。
町名の由来は、町の近くにあった東光院の「光」と燈明寺の「明」の字を合わせて命名したとされている。
その後、同五年に北側に位置する筑後柳河藩立花家下屋敷を合併し、町域を広げた。
そして、同二十四年、光月町起立時の範囲である新鳥越四丁目飛地の部分を松葉町に割譲した。この結果、立花亭の部分が光月町となった。
昭和十八年(1943)、光月町は一部を下谷区に移し、浅草区光月町、下谷区光月町に分けられた。その後、台東区発足により、統合され光月町に戻った。
昭和四十年(1965)、住居表示の実施で千束二丁目と入谷二丁目になった。
*******下町まちしるべ*******

おや、新鳥越の飛地。。

光月町も少なからず、我が地元の鳥越と関係があったのだと、この記事を持って知りました。

台東区地図内の光月町の位置図
光月町位置図

こうして歴史を探っていくと、色々と繋がりもあって益々探究心がわいてきます。

現在の地図にあてはめた光月町の区域図
光月町区域図

特に郷土史は、自分の居る所の次元を遡っていく訳で、昔の方の想いを知るような気がしてなりません。話にも出ました、「元鳥越」「新鳥越」については以前にまとめ記事を作っております。

52番目の紹介は「光月町」の紹介でした。

台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧

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