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2018年5月15日(火)

旧町名由来案内「旧浅草北田原町」

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街の空気感。

何のこっちゃ?
と思う方もいるかもしれませんが、浅草界隈では街全体がいよいよ始まるよ~~~の空気が充満してまいりました。

今週末は三社祭。今日紹介する町会は現在「浅草1丁目三栄町会」ということですが、

これはお祭りでの町会名でありまして、住所表記は浅草1丁目。

浅草や上野がある台東区は旧町名の宝庫であり、お祭りの町会名として旧名が残っている場合も多くあります。

三社祭

木札で町名を入れる時には、現住所よりも町会名で入れることが多く、そうなりますと必然と旧町名の出番となる訳です。

町名入 木札

こうして郷土愛として、脈々とその土地々々に根付き受け継がれていくのです。

浅草国際通り

旧町名、風情があっていいなぁ

これだけ情報処理能力が進んだ現代なら、旧町名復活も夢ではないのかと思い、まずは地元を知ろうと思って見付けたのが、街中にひっそりと建てられていたコレ、

旧町名由来案内「浅草北田原町」

それでは、いつもの通り町名の由来と町の歴史を書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「浅草北田原町」***

この付近は昔、浅草寺領の田圃であった。当時は紙漉を業とするもがいたので紙漉町といわれていた。その後、多くの人が住むようになり、寛文の頃(1661~1672)には町が形成されたことから三丁にわけられ、浅草田原町一、二、三丁目となった。町名は、この付近が田畑であったことにちなんでいる。
明治五年(1872)、三丁目が雷門通りをはさんで南北二町にわけられた。南側はこれまでのとおり浅草田原町三丁目としたが、北側は浅草北田原町三丁目となった。その後、明治四十五年に浅草北田原町三丁目という長い町名は浅草北田原町となった。昭和四十年の町名変更により浅草一丁目となった。
むかし、本町内に「蛇骨長屋(現在の蛇骨湯付近)」というところがあった。蛇の骨らしいものの出土に由来する。
*******下町まちしるべ*******

浅草寺の本堂はだいぶ遠く感じますが、ここまで浅草寺の持ち物で田畑だった350年前。

台東区地図内の浅草北田原町の位置図
台東区地図内の浅草北田原町の位置図

その後、浅草北田原町三丁目って長い町名から現在は浅草1丁目。雷門の辺りも浅草1丁目。

現町名は町域が広すぎるような気がしてなりません。

現在の地図にあてはめた浅草北田原町の区域図
現在の地図にあてはめた浅草北田原町の区域図

実際、浅草1町目には、いくつの町会が存在しているのでしょうか?

今週、調べてきますね~

半年ぶりからの半年ぶり、55番目の紹介は、「浅草北田原町」の紹介でした。

台東区は、旧町名の宝庫的な地域であります。浅草・上野界隈など台東区周辺を散策する時のお役に立てば幸いです⇒旧町名案内 町名一覧

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