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2014年4月19日(土)

旧町名由来案内「旧谷中初音町四丁目」

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旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ

台東区内の旧町名、27番目にご紹介をさせていただくこの町会なんですが、、ちょっと珍しいパターンでしたので、いつもと違う形で、いきなりこれにいっちゃいます。

谷中初音町四丁目の1

***旧町名由来案内「旧 谷中初音町四丁目」***

明治二年(1869)本町は一丁目から三丁目として誕生した。同四年、江戸時代から六阿彌陀横町または切手町とわれた武家地が初音四丁目として加わった。さらに同二十四年、初音町四丁目は谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併し町域を大きくした。
町名は、この付近に鶯谷と呼ばれるところがあったことから、鶯の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鶯などの声のことである。
「東京都モデル商店街第一号」
日暮里から千駄木方面に登る坂が「御殿坂」。そして下ったところに「谷中銀座」がある。谷中銀座は戦後いち早く復興に着手し、近隣商店街としてよみ返った。昭和五十八年には「東京都モデル商店街第一号」の指定を受けたカラー舗装、アーチなどの整備が行なわれ近代的商店街となった。
*******下町まちしるべ*******

こちらの公園にあったのですが・・・

谷中初音町四丁目の公園

この公園から、少し離れた所にも小さな公園がありまして、、

「岡倉天心記念公園」!ここにも案内板見っけ!

谷中初音町岡倉天心記念公園

今日は近くに2つも見つけてラッキーだなー

と思いつつ

今日撮り貯めた画像をチェックしました。

谷中初音町四丁目その2岡倉

あら?さっきも「谷中初音町四丁目」???

良く見たら、看板に書いてある内容が少し違うようなので、二つ目の看板を書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 谷中初音町四丁目(岡倉版)」***

町名は、本校内に鶯谷と呼ばれるところがあったことから、鶯の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鶯などの声のことである。
谷中初音町は、はじめ一丁目から三丁目として誕生した。明治二年(1869)のことである。同四年、江戸時代から六阿彌陀横町または切手町とわれた武家地が初音四丁目になり加わった。さらに同二十四年、初音町四丁目は谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併し、初音町としての町域を確定した。

本町には、かつて日本近代美術の先覚者岡倉天心が住んでいた。明治三十年(1897)東京大学卒業後、文部省に勤めたが同二十二年、東京美術学校を開設するなどして日本近代美術の振興につとめた。その天心の旧居跡が現在の岡倉天心記念公園である。公園正面の六角堂には本区名誉区民・芸術院会員であった平櫛田中作の「岡倉天心先生坐像」が安置されている。
*******下町まちしるべ*******

 日本の近代美術を支えた岡倉天心氏の住まいがあったところなんですね。

台東区地図内の谷中初音町四丁目の位置図(緑部)

谷中初音町四丁目の1の位置図谷中初音町四丁目その2位置図

さすがに位置図と区域図は一緒かな?

と、思いきや!!!。

現在の地図にあてはめた谷中初音町四丁目(緑部)

谷中初音町四丁目の1の区域図

なんとなんと!

向きを変えて2種類ありした~

谷中初音町四丁目その2の区域図

そういえば、他の町会にも2つあった所があった!

もう一度、調べ直さないとですね。

27番目の紹介になりました、
上野の山の片隅にあり、岡倉天心氏のゆかりの地でもある「谷中初音町四丁目」の紹介でした。

台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧
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