テーマ別一覧↑↑↑でもまとめておりますが・・・
そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのかと言いますと!
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
例えば、武州・信州・備前・筑前など大きく入れる方、
鳥越、小島、佐竹など小さく町名を入れる方
皆さん、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
しかしながら、これだけご依頼をいただくということは、今でも深く印象に残っているということ。
江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く風情があり、そして覚えやすい!また、時代小説などでも度々登場し、文化遺産としての価値も高いのではと興味を持った訳であります。
せっかくなら、これだけ情報処理能力が発達した現代であれば、旧町名復活も夢ではないのではと思い、まずは、地元の事から知ろうと思い出会ったのが↓↓↓
普段何気なく見過ごしていたこの旧町名由来案内、下町まちしるべ!
前置きが長くなりましたが、6番目の紹介になります『 浅草小島町 』。
1番目からご覧になる方は⇒ブログテーマ:復活願!旧町名のこと
我が地元、鳥越のすぐお隣なのですが、自分の所以外は気になっていても調べるには至らなかったり・・・
へぇ~~~って思いながら、
例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草小島町」***
むかし、この付近は鳥越村に属する沼地であった。そして浅草猿屋町の小島屋酉之助という者の先祖が、この地の名主役を勤めていた。その後、寛永七年(1630)、その祖先が三味線堀川筋の堀割工事で掘りおこした土を使って沼地を埋め立て、そこに開いた町を小島町と名付けた。そして、明治五年(1872)に隣接する武家屋敷を合併し町域を広げたが、昭和九年に浅草小島町は南北二町にわけられ、南側が一丁目、北側が二丁目となった。
鳥越川の堀割工事でできた堀が三味線堀である。堀の形が三味線に似ていたので、その名が付いたといわれる。
*******下町まちしるべ*******
台東区地図内の浅草小島町の位置図(緑部)
お隣の小島町は、小島屋さんが由来なのか!
現在の地図にあてはめた浅草小島町区域図(緑部)
お隣って・・・
知ってるようで知らなかったりするものですね。
このシリーズは、まだまだ、まだまだ、続きます。
ストックもかなり貯まってきましたが、焦らず1町づつご紹介してまいります。
◇復活願!旧町名のこと
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