テーマ別一覧にも、まとめております⇒復活願!旧町名のこと
シリーズ続きましては『 浅草聖天町、浅草聖天横町 』。
読み方は『 しょうでんちょう 』と濁ります。
雷門から浅草寺を見て、右手奥の裏手にございます『 浅草聖天町、浅草聖天横町 』。
何が有名かって!そりゃ~~~↓↓↓
作家:池波正太郎先生の生誕の地でもあります。
旧東京市浅草区聖天町61番地に生まれたとあります。
この年(大正12)の9月に関東大震災があり、生家は焼失したが、その後も少年期・青年期を台東区で暮らした。とあります。
それでは、例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草聖天町、浅草聖天横町」***
本町の起立年代は不詳である。寛文図に「聖天丁」と記載があるので、かなり古く開かれた町である。町名は町内に待乳山聖天宮があるのにちなんだ。聖天宮の正式な名称は本龍院といい、聖天宮は聖天を安置していることによる。金龍山あいは待乳山と号し、浅草寺の子院である。
待乳山は隅田川西側の小丘で、江戸時代から文人墨客に愛された景勝の地であった。聖天宮はこの待乳山の上にある。
「浅草聖天町」昭和二十三年(1948)に浅草山川町、同金龍山下瓦町、同山ノ宿町の北隅を合して誕生した。
「浅草聖天横町」浅草聖天町の西側続地であり、町の地形から横町とつけられた。起立年代はわからないが浅草聖天町よりやや遅れてできたのであろう明治五年(1872)、浅草寺子院の遍照院を合併して町域を広げた。
*******下町まちしるべ*******
台東区地図内の浅草聖天町、浅草聖天横町の位置図(緑部)
池波先生の小説には、台東区の旧町名が良く出てきます。
何せ、地元ですから!
浅草聖天町、浅草聖天横町の拡大図(池波先生生家跡位置)
池波先生の生家は、前出の碑とこの案内板がある待乳山聖天公園の南側「現浅草7丁目3番地付近」にあったそうです。
出ました7丁目!!! ○丁目はやっぱりデカくてどこだか分かりにくいと思うのは僕だけでしょうか。。
僕は、浅草メイン地区からは少し離れた南部方面の鳥越におり、御地は少し遠く感じますが!浅草7丁目はどこか分かりませんが『浅草聖天町』って聴けば、ああ!!あの待乳山聖天のあたり!!!て、とりあえずの位置は分かるんです。。
旧町名、いいですよね~、風情もあるし。。
まだまだ、このシリーズは続きます。
◇復活願!旧町名のこと
の記事