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第4弾は「浅草の入口」になります。
『 浅草橋 』です。
今、私が『浅草橋!』と言って思い浮かべるのはJRの浅草橋駅・・・
しかし、この町名の由来を調べ始めたことにより認識が少々変わってまいりました。江戸の中心から浅草寺~奥州へ向かう入口の両側町~
それでは、例によって旧町名由来案内より書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 浅草橋」***
浅草橋という町は昭和九年(1934)に茅町、上平右衛門町、下平右衛門町、福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町がひとつになってできた。町名は、神田川に架けられた橋の名にちなんでいる。
江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓・門・橋などを築き江戸城の警護をした。奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は浅草御門と呼ばれた。また警護の人を配置したことから浅草見付といわれた。
ここ神田川にはじめて橋がかけられたのは寛永十三年(1636)のことである。浅草御門前にあったことから浅草御門橋と呼ばれたがいつしか「浅草橋」になった。
*******下町まちしるべ*******
台東区地図内の浅草橋の位置図
また、現浅草橋1~5丁目を赤枠で囲ってみました。
現住所表記がわかりずらいのは、
同じ町名の範囲が広すぎるからだとも言われております。
昔は、道を挟んで両側が同じ町「両側町」が主にあり、片側しかない場合は、「○○片町」などと町名が付いたりしたそうです。
現在の地図にあてはめた浅草橋の区域図
ご覧の通り『浅草橋』も奥州街道を挟んだ両側町だったんですね。
旧町名シリーズ、4つ目。浅草御門橋が由来の「浅草橋」でした。
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