普通に浅草、浅草寺に行き、
たまたま、このような神事に巡り合えたらラッキーだと思います。
今日は、まさにそんな日。三社様 浅草寺で執り行われる示現会。
あっ、外国の方も興奮気味に写真を撮ったりしていました。
「示現会」を語る。。
イコール=浅草の由来を語る事になるのですが、、、
本当に極簡単にまとめを示現会の画像を見ながら、ご案内したいと思います。
西暦628年3月18日の早朝、
漁師の「檜前浜成・竹成(ひのくま のはまなり・たけなり)」兄弟が宮戸川(隅田川)で漁をしていたところ、投網のなかに仏像がかかりました。
当時の文化人「土師真中知(はじのまつち)」に仏像を手にした経緯を語ったところ、「聖観世音菩薩の尊像」であると説き、
「土師真中知」は間もなく僧となり、自宅を改め寺としたのが浅草寺の始まり。
「土師真中知」の没後、間もなく嫡子が三社権現と称して「土師真中知・檜前浜成・竹成」の三人を神として祀ったのが、三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。
権現思想の事などから、年代などを考察しますと少々無理もあるようですが、三氏の末裔が浅草発展に寄与した郷土神として祀ったものであると推定される。と→浅草神社のページにあります。
そして、江戸時代までは三社祭として「神仏一体」の行事として神輿の渡御と併せて執り行われいたが、明治期の「神仏分離令」により「三社祭」は5月に行われるようになりました。
別々になったことにより「示現会」の本来の意味が見失われがちになり、長年の懸案となっていたものを、浅草の歴史を広めると共に更なる町の発展を願って再開された。と→浅草神社示現会のページにあります。
と言う訳で、大変、お待たせしました。
こちらが先ほど境内にて撮ってまいりました「堂上げ」の動画です。
明朝「堂下げ」され浅草神社に戻ります。
明朝平成26年3月18日(火)、浅草近辺においでの方は、ぜひ、時間を合わせていくとよろしいかと思います。
◇鳥越・浅草周辺散策
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