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2014年7月13日(日)

旧町名由来案内「浅草馬道」

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旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ
⇒戻したい町名の年代

まだまだ続きます、我が地元台東区の旧町名案内板探し!

浅草馬道 松屋裏

最近「鬼平犯科帳」を二度目の読破を目指し読み始めましたが、いやいや、池波正太郎先生の生まれ育った台東区(上野・浅草は台東区)だけあって、出てくる町名は色々と気になります。

鬼平=長谷川平蔵様の本所界隈の町名までは、まだ辿りつきませんが地元台東区の旧町名を1つ1つ調べつつ、ご案内をできればと思います。

浅草馬道 産業会館前

本日、ご案内するのは浅草寺、浅草神社のすぐ東側(隅田川側)の縦に長い町会です。

浅草馬道

浅草寺の横を通っておりますので、浅草寺へ向かう道ではないようですが、

さて?

どこへ続く道なのでしょうか?

33番目の紹介になります。
町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草馬道」***

「馬道」という町名は相当古くからあり、「御府内備考」によるとすでに江戸時代初期には南馬道町、北馬道町の名があった。ちょうど浅草寺境内から二天門を通り抜けた左手に南馬道町、その北隣りあたりが北馬道町である。享保十五年(1730)には二天門の右手に南馬道新町ができるなどして浅草寺の東側一帯に浅草寺子院街として発展したが、明治十年(1877)この付近が整理統合され浅草馬道町ができた。そして昭和九年(1934)さらに浅草馬道町は隣接するいくつかの町を合併して町域を広げるとともに、町名を浅草馬道に改めた。
町名の由来は諸説あるが、むかし浅草寺に馬場があり、僧が馬術を練るためその馬場へ行くおりこの付近を通ったところ、その通路を馬道というようになったと言われている
*******下町まちしるべ*******

 江戸時代は、寺社奉行があったほどに
お寺や神社の力も軽視できず監視していた訳ですが、浅草寺の層も馬術の訓練をする場所をもっていたのですね。

台東区地図内の浅草馬道の位置図(緑部)

浅草馬道位置図

どこかへ通じる御成り道かと思いましたが、、

また1つ勉強になりました。

現在の地図にあてはめた浅草馬道区域図(緑部)

浅草馬道区域図

 33番目の紹介になりました、浅草寺、浅草神社などの浅草メイン地区のすぐ東側『浅草馬道』の紹介でした。

台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

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