お祭り大好き、下町育ちの蒲生芳雲です。
地元、鳥越神社を始め、お隣浅草三社祭なども旧町名、町会で運営されている事が多く、すんなりと旧町名は、受け入れられます。
現町名は、昔の町名に比べて○○何丁目~何丁目までと町域が広く、いったいどこまでが浅草なのか上野なのか、ちょっと分かりにくいんです。
また仕事柄も、こうして皆様のご依頼により、
お木様(おこさま:木札)に町名や土地の名を彫刻する方がとても多くいらっしゃる。
それだけ、現町名だけでなく昔からの土地の名には愛着があるということだと思うんです。
そこで、先日受けた「江戸の地名と名称」の講義の後に
テレビなどの時代考証も依頼される近世民衆史が専門の名誉教授に思い切って聴いてみました!→時代考証については先日の記事を
台東区鳥越から来ました蒲生芳雲と申します。
旧町名について興味をもち、風情のある町名が復活すればいいなと思っています。
昭和30年代に住所表記が改変され、いくつもの町名が消えてしまいましたが先生はどう思われますか?
また、旧町名復活については、どう思われますか?
教授:「それはね~
大戦当時の町名に戻すのが一番いいんだと思いますよ!」
私:えっ!大戦ていうと第二次大戦て事ですよね?
いきなりで、びっくりました。
まだ、聴いてもいないのに、具体的な年代が出てくるとは思いませんでした。
さらに!
教授:「今、講義でも話したように、各地名や町名は生活の中から出てきたものですから覚えやすいし分かりやすいんですよ。
そして、今の町名は町域が大きすぎるんです。
だから、分かりにくいんです。」
私:お祭りなどで使われる旧町会名は、遠くてもだいたいの位置はすぐにわかります!
教授:「これだけ情報処理能力もあがってるんだから、戻してしかるべきだと思いまよ。」
興味を持って調べ始めたものの『旧町名』と言っても、どの昔まで戻せばよいのか???でしたので、この教授の言葉でスッキリしました。
時代を戻し過ぎちゃうと、先日の忠臣蔵の記事のように、武家屋敷だったりして町名もない所が多いのです。
フダヤドットコムのある鳥越1丁目は、ほぼ全域が松平様の御屋敷でしたので、江戸まで戻すと町人地ではなく=町名がなかったので、江戸まで戻す?どうなんだろう?と思っていたので、本当にスッキリしました!
江戸の時代が終わり、廃藩置県(明治4年)により武家屋敷が潰され、それ以降に出来た町もかなりあるということ。
その後、見つけた台東区の町のあちこちにある「旧町名由来案内」の看板でも、
廃藩置県以降の明治5、6年がキー年数になっていると感じる記述が多数あります。
その後、合併や分割を繰り返して、昭和9年頃に大きく再編され、戦争を迎えたんですね。そして・・・
戦後の高度成長の最中昭和30年代に、現在の住所表記に変更され一気に風情のある町名が消滅したことが分かってきました。
この頃・・・台東区生まれの時代小説家、池波正太郎先生は、ご健在でした。
どう感じたんでしょうか?この変更。。
立派な文化遺産だと思うのですが、、、想いは尽きません。
さぁ!戻すべき年代は定まりました。
何だか、知識を得るために知ることをしていたら、、、
何か見えてくるのではと改めて思い始めました。まだ、ご紹介していない台東区の旧町名もありますので、しばらく、読み込みながら紹介を続けてまいります。
◇復活願!旧町名のこと
の記事