浅草鳥越
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2014年6月28日(土)

旧町名由来案内「浅草新吉原江戸町一丁目」

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旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ
⇒戻したい町名の年代

そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのかと言いますと!

お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。

現代の地名

現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。

例えば、武州・信州・備前・筑前など大きく入れる方、
鳥越、小島、佐竹など小さく町名を入れる方

地名 小島町

皆さん、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。

現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
しかしながら、これだけご依頼をいただくということは、今でも深く印象に残っているということ。

江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く風情があり、そして覚えやすい!また、時代小説などでも度々登場し、文化遺産としての価値も高いのではと興味を持った訳であります。

せっかくなら、これだけ情報処理能力が発達した現代であれば、旧町名復活も夢ではないのでは!!!

浅草新吉原土手通り

私の住んでいる台東区、浅草、上野を含め旧町名の宝庫でもあり、風情のある街並みもたくさん残っております。

台東区内の繁華街としては、浅草、上野が有名どころではありますが、歓楽街といえば!

浅草新吉原

 台東区~~~魅惑の町でもあります。

浅草新吉原江戸町一丁目

このシリーズ少し間が開いてしまいましたが、浅草の少し北にあるこの地域。

32番目の紹介になります。
町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。

***旧町名由来案内「旧 浅草新吉原江戸町一丁目」***

元和三年(1617)幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸では唯一の遊郭開設を許可した。遊郭は翌年、営業を開始したが葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、はじめのころは”葭原(よしわら)”と呼ばれた。そして寛永三年(1626)に縁起のいい文字にかえて吉原となった。明暦二年(1656)になると町奉行から、吉原を浅草日本堤へ移転するよう命じられ、翌三年に移転した。それから、この付近は浅草新吉原と呼ばれるようになった。
日本橋に開設されたたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、二丁目、角町の五ヵ町であった。そのうちの江戸町一丁目は元和四年の吉原開設とともにできたが、はじめは本柳一丁目と呼ばれていた。その後、江戸が大変繁盛していたことから、これにあやかって江戸町一丁目と改称した。
*******下町まちしるべ*******

 旧町名を知る事で、さらに深い歴史をしることもできます。

台東区地図内の浅草新吉原江戸町一丁目の位置図(緑部)

浅草新吉原江戸町一丁目位置図

「葭の原(よしのはら)」→「葭原」→「吉原」

そして、浅草に移って「新吉原」となった訳です。

現在の地図にあてはめた神吉町区域図(緑部)

浅草新吉原江戸町一丁目区域図

このシリーズは、まだまだ続きます。

32番目の紹介になりました、台東区役所の少し北側にある『浅草新吉原江戸町一丁目』の紹介でした。

台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
これまでに見つけた旧町名一覧のページは↓こちらに纏めております↓↓↓

⇒旧町名案内 町名一覧

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