「狙うは吉良上野介の首級ただひと~つ!
主君、浅野内匠頭の仇討へ、
目指すは、本所松坂町へ!いざ~」
と向かっていたならば・・・
「ご家老様!大変です!!!
吉良邸のある本所松坂町が、見つかりません!!!」
『なに!松坂町が見つからない?
旧町名である「本所松坂町」に吉良邸跡も残っておるに!
えーーい探せ探せ、本所松坂町はどこじゃ!!!
既に討ち入りの日から3日も経っているというのに!』
まぁ、実際には、仇討は成功したものの浅野家は再興されない訳ですが、本所松坂町を探すのならば、おそらく・・六十数年後に、みつかるかと?
ん?ん?ん? いや、事件がなければ、みつからない・・・???
この本所松坂町という旧町名・・・
忠臣蔵で知られる刃傷事件の後、吉良家が取り潰され幕府に公収されたのち、町人地として開かれ付けられた町名なので、「本所松坂町」を目指すことは無い!という訳なんです。
現在は、両国三丁目と町名が変更されておりますが、吉良邸のあった場所に「本所松坂町公園」としてその邸宅の一部が残されております。
その事から「本所松坂町の吉良邸へいざ!」という間違いも起こったりするのかと思いますが、テレビや映画などの時代劇や時代小説に、こうした間違いがないか調べる事を「時代考証」といいます。
もう一つ例を挙げるのならば、
江戸の時代劇で八百屋さんに、白菜が積んであったとします。
実際に、白菜が積んであるといかにも八百屋さんらしく見えるため、普通にありそうなシーンですが、白菜は明治時代になってから日本へ入っきたとされているので、このシーンは時代が合っていない事になる。
こうした時代に合っているのか?検証する事全てを「時代考証」といいます。
そして、有名なテレビの時代劇などで『その時代考証』を依頼される名誉教授の「江戸の地名と名称」という講座を受講しました。
旧町名復活を願い、思い始めて、まずは地元のことからと興味を持って調べ始めた、台東区の旧町名シリーズと共に、知識を得ることからと思ったからです。
そこで、講義の後に教授に思い切って聴いてみました!
台東区鳥越から来ました蒲生芳雲と申します。
旧町名について興味をもち、風情のある町名が復活すればいいなと思っています。
昭和30年代に住所表記が改変され、いくつもの町名が消えてしまいましたが先生はどう思われますか?
また、旧町名復活については、どう思われますか?
と、質問させていただきました。
かなり長くなったので、続きは次の記事にて、、、
◇復活願!旧町名のこと
の記事