日本全国津々浦々、古い町名、地名に思い入れのある方は、多くいらっしゃると存じます。
私の居ります台東区は、時代小説の「巨匠:池波正太郎先生」ご生誕の地でもあり、旧町名の宝庫でもあります。
今では文化遺産とも云っても言い過ぎではないと思われる「旧町名」復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ。
⇒戻したい町名の年代
そもそも、なぜこの旧町名の由来を調べているのかと言いますと!
お木様(おこさま:木札)のご依頼で、思い入れのある地名を入れる方がとても多くいらっしゃいます。
現在の地名を入れる方も多くいらっしゃいますが、
古い名称でお入れする方も本当に多いんです。
例えば、武州・信州・備前・筑前など大きく入れる方、
鳥越、小島、佐竹など小さく町名を入れる方
皆さん、現代の地名だけでなく古くからの呼称も含めて、地名に対しての思い入れがとても強い事を感じる訳です。
現在では、そうした名称が実際には残っていないことも多々あります。
しかしながら、これだけご依頼をいただくということは、今でも深く印象に残っているということ。
江戸の地名などは、生活から出てきた町名が多く風情があり、そして覚えやすい!また、時代小説などでも度々登場し、文化遺産としての価値も高いのではと興味を持った訳であります。
せっかくなら、これだけ情報処理能力が発達した現代であれば、旧町名復活も夢ではないのではと思い、まずは、自分で出来る事!!!と思い始めた台東区内にある旧町名由来掲示板探しのランニング!!!
自分の足で探して見つけて写真を撮っております。
また、朝ランニングを復活させようと思い、更新(笑)
谷中といえば!!!
僕らにとっては、肝試しの場所でもありますね~
今でも、夏は、かなり涼める? 場所かもしれません。。。
***旧町名由来案内「旧 谷中町」***
天正から元禄(1589~1703)にかけて、町屋の区域が武蔵國豊島郡谷中村より独立して、谷中町として起立した。
谷中という地名は江戸時代からあり、その由来は上野台(代山)と本郷台の谷間に位置していることにちなみ、下谷に対してつけられたといわれている。
本町の江戸時代の町屋は、言問通り面(八軒町)と天王寺へ行く通りの面(総持院門前前町まで)に形成されていた。明治初年、大雄寺をはじめとする寺地が合併されて町域が定まった。
大雄寺には、勝海舟、山岡鉄舟とともに「遺臣の三舟」といわれた高橋泥舟が「大くすの木」の下に眠っている。この大くすの木は、東京都の保存樹木に指定されている。
*******下町まちしるべ*******
谷中の墓地は有名ですが1つの霊園だけでなく、大小とても多くの寺院が密集している事でも知られるこの地域。
台東区地図内の谷中町の位置図(緑部)
上野恩賜公園は、徳川家の菩提寺でもある寛永寺の跡地。
谷中=寺町として知られている事は現在でも変わりはありません。
現在の地図にあてはめた谷中町区域図(緑部)
このシリーズは、まだまだ、まだまだ、続きます。
36番目の紹介になりました「旧谷中町」の紹介でした。