旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始め、探し当てた、この旧町名案内シリーズ。
先日、ご紹介した「上根岸町会」のある元三島神社のお祭りと、同じ週にお祭りがあります、上野駅周辺。
上野駅も、この御稲荷様の氏子地域でありますので、毎年ゴールデンウィーク明けの週末は、御神輿で賑わう訳であります。
この下谷稲荷神社は、上野駅前の大歩道橋から浅草方面を見た右手にあります。
浅草通りに面した大きな鳥居が目印になりますが、神社のある側は以前に紹介しました「旧南稲荷町」。
本日、紹介するのは下谷稲荷神社の向かい側、一本裏手に台東区役所があるこの旧町名です。
それでは、いつものとおり・・・
あれーーーっ 日当たり良すぎ?
読めない!!! と思っていたら・・・
先日、日焼けしにくい素材になっているのでしょうか!?
新しい看板が設置されておりました。
稲荷町の由来は、「南稲荷町」と一緒だと思いますが、『北』にはどんな歴史があるのでしょうか。
29番目の紹介になります。町名由来案内板、例によって書き写してみたいと思います。
***旧町名由来案内「旧 北稲荷町」***
明暦三年(1657)の江戸大火後、江戸各地の寺院がこの付近に移転してきた。そして、唯念寺、成就寺、宗源寺、西蓮寺の各門前に町屋が形成された。この頃、唯念寺の門前町屋は町内に稲荷神社があったので、俗に稲荷町一丁目と呼ばれていた。また、成就寺の門前町屋は稲荷町といっていた。
明治二年(1869)これらの門前町屋は、隣接する辻番屋敷を合併して下谷稲荷町と名付けられた。稲荷神社は、現在の下谷神社である。
明治五年、下谷稲荷町は、現在の浅草通りで南北にわかられるとともに、この地は永昌寺、広徳寺ほか六ヶ寺の寺地を蒲生芳雲ペイして下谷北稲荷町が誕生した。そして明治四十四年に下谷の二字をはずして北稲荷町となった。
「永昌寺」は講道館柔道発祥の地である。創始者の加納治五郎は明治十五年に東大を卒業すると永昌寺に下宿し、学習院の教師をしながら寺の一室で柔道を始めた。
*******下町まちしるべ*******
へぇ~な、雑学がまた増えました。
講道館発祥の地、加納治五郎氏が下宿し柔道を始めた所なんですね。
台東区地図内の北稲荷町の位置図(緑部)
時代小説では、上野山下、浅草界隈の事がよく出てきますが、田園風景との境であったこの地域は、著名な方が住んでいたり別荘地になっていたようです。
>現在の地図にあてはめた北稲荷町区域図(緑部)
さてゴールデンウィーク明けは、この下谷稲荷神社の御祭礼になります。
今年(H26)は、二年に一度の宮神輿が出る年であります。
と、言う訳で、一足お先にハナ棒を!
29番目の紹介になりました、
上野駅から程近い、我が台東区役所のある「北稲荷町」でした。
台東区を散策なさる時も、お役にたてれば幸いです。
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