お正月に実家の整理をしていたら、こんな本がでてきました。
地名は歴史の生き証人。いま、よみがえる郷土の歴史!
!!!
荒漠たる千古の大武蔵野、東京の原点をなす大江戸三百年、日本の首都として目ざましい躍進をとげた大東京、その歴史的経過の中に登場する全地名を集大成!
私の仕事柄、地名を入れた名入れのお木様(おこさま:木札)のご依頼を多くいただきます。
現地名だけでなく、武州、肥後、筑前や現存しない旧町名でお作りするのは、各神社のお祭りなどが旧町名で行われている事が多かったり・・
いずれにしても、土地の呼称に愛着を持っている方がとても多くいらっしゃることが、想像できるわけです。
私の住む台東区を始め、周辺の文京区、中央区、墨田区は、旧町名の宝庫。生活から出てきた地名ですので、覚えやすくて分かりやすい!
時代小説にも度々でてまいりますので、文化遺産としても認められつつあるのだと思い、
旧町名復活しないかな~と思い、願い、まずは知識の吸収からと地元台東区の旧町名を調べ始めた、この旧町名案内シリーズ。
池波正太郎先生は、台東区の旧浅草聖天町の出身ですから、まぁ、台東区内の旧町名もたくさんでてくる訳で、、
大石内蔵助の生涯を綴った「おれの足音」にも『下谷御徒町』がでてきました。
上巻にも「池ノ端仲町」。旧町名は立派な文化遺産ですね。
と、先日の記事で
「主君の仇討ち!目指すは本所松坂町!」あれ?吉良邸がない!?
って、記事を書いたらですね~~~
前出の「おれの足音(下巻)」で、「本所松坂町の吉良邸へ!」
って、、
池波先生に喧嘩を売ってしまった(笑)
笑い事ではないので、出てきた地名辞典で確認!!!
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元禄7年町屋敷となる。元禄16年、吉良上野介下屋敷跡地に松坂町1丁目が起立とある。
***角川地名大辞典(13東京都)より***
赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日。
まさか、池波先生が知らないはずはありません。
それでは、どういうこと?
恐らく、こういうことだと思うんです。
お武家さまの御屋敷は、町ではないので町名はありません。
我が鳥越1丁目も松平様の御屋敷で江戸時代は、町名はありません。でもですね、その地へ向かうのに、「本所へ!」では、広すぎてぼやけちゃう。
ですから、あえて「本所松坂町」としているのでしょう。その後の町名だけど、場所は確実に特定できますよね。
また、
『真田太平記』などでも、武士は幼名から色々と変わりますが、
読者の混乱を避けるため「ここまでは源二郎と呼ぶことにする」「幸村と呼ばれるのは晩年だが、これからは幸村で統一する」などと、分かりやすくするために小説の中では、あえてそうしている、のだということです。
でもですね!
時代考証という意味で考えると、よく注意しないといけない!
ですね。
いずれにしても、ここ台東周辺は旧町名の宝庫ですから、これからも色々調べて行きたいと思います。
関連 旧町名番外編
10.上野戦争(戊申150年 旧暦5.15 新暦7.4今日) 旧町名由来案内特別編「旧東黒門町」
9.鳥越川 新堀川 三味線堀~鳥越橋~大川(隅田川)への流れ暗渠
これまでに見つけた台東区の旧町名一覧のページは↓こちら↓↓
◇復活願!旧町名のこと
の記事